2025/03/24
188. 7人の弟子と7つの手紙(第3の手紙)
前回の考察を続ける。ヨハネ福音書には「シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた」(ヨハ21:2)とあった。そこから、黙示録の第3の手紙の宛名である「ベルガモにある教会の天使」は、上記の順に行くとガリラヤのカナ出身のナタナエルに当たる。
ナタナエルは、フィリポに出会ってその召命をつかんだ。フィリポは彼に、「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ」(ヨハ1:45)と告げた。彼はそれに、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(1:46)と応じた。他の箇所では、群衆の中でも聖書を知っている者が、「メシアはガリラヤからでるだろうか。メシアはダビデの子孫で、メシアはダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか」(7:41~42)と言ったことや、祭司長やファリサイ派の人々が、「よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる」(7:52)と言ったことが記載されている。
フィリポに対するナタナエルの応答は、彼が聖書についてよく知っていたことを物語っている。しかし、イエスと同じガリラヤ出身の彼には、「ガリラヤから何か良いものが出るだろうか」とは言えなかった。それでも、「来て、見なさい」(ヨハ1:46)と言ったフィリポの言葉に興味をもって彼の後について行ったのである。ナタナエルがご自分の方へ来るのを見て、彼の考えを知っていたイエスは、「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(1:47)という言葉をかけた。この言葉にナタナエルは、「どうしてわたしを知っておられるのですか」(1:48)と問うた。彼は、イエスに内面を見抜かれた思いがしたのだ。
イエスは、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」(ヨハ1:48)と答えた。当時のユダヤ人にとって、「いちじくの木の下にいる」とは、個人的な祈りや静かな時間を持つことを指すことがある。イエスは、彼がそのような人であることを示唆したのだ。このイエスの答えは彼の心の琴線に触れ、彼は、「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」(1:49)と告白した。しかし、イエスの対応は次のように少し冷たかった。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる」(1:50)。
ナタナエルの告白には真実があったとしても、聖書の知識を持っていた彼にとってこの答えは、ラビ(先生)や長老とみられる人と出会ったときの常套句であったかもしれない。そこでイエスは、「もっと偉大なことをあなたは見ることになる」と言って、彼の真実を固めようとした。その三日後に行われた婚礼の場で、イエスが水をぶどう酒に変えるしるしを行い、その栄光を現すところを、ナタナエルは他の弟子たちと共に目の当たりにすることになる(ヨハ2:1~11参照)。ナタナエルの出身地がガリラヤのカナであったことから、このしるしは他の誰よりも彼の脳裏に焼き付いて残ったにちがいない。そして、最期の食卓でイエスが聖体を制定した時、彼の記憶にカナの婚礼のしるしが鮮明によみがえったことだろう。
後日、さらにイエスは二回目のしるしを再びカナで行った。死にかけている王の役人の子を、御言葉だけでいやしたのである(ヨハ4:46~54参照)。イエスに対するナタナエルの真実は固まった。黙示録の第3の手紙に書かれた、「鋭い両刃の剣を持っている方」(黙2:12)、「すぐにあなたのところへ行って、わたしの口の剣でその者どもと戦おう」(2:16)という言葉は、ナタナエルにとって真実である。そして、彼が読めば、「勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている」(2:17)とあるこの手紙の最後の言葉の意味が分かる。
「隠されていたマンナ」は、イエスの最期の食卓の聖体制定の場面を示唆する「キリストの体」である。そして、「キリストの体」は御言葉によって成る。そこで、「その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている」とある言葉から、黙示録19章に登場する「白馬の騎手」の描写に導かれる。そこには、ナタナエルが見たイエスの真実、「白い小石を与えよう」と言った方の真実がある。イエスの名によって遣わされた聖霊の姿が、次のようにイメージされているのだ。
「私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方は、『忠実』および『真実』と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。この方は血染めの衣を身にまとい、その名は『神の言葉』と呼ばれた。そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである」(黙19:11~15)。
つづく
Maria K. M.