イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2023/09/04


107.  使徒の継承者 その2

前回考察したように、イエスがペトロに授けた「天の国の鍵」(マタイ16:19)は、「底なしの淵の鍵」(黙示録20:1)であった。ここで言われている「鍵」とは、イエスが「結ぶ」、「解く」と表現した通り(マタイ16:19参照)、物事を理解したり、解決したりするのに最も大切なキーとなるものだ。 

この事の発端は、マタイ福音書で、「あなたがたは私を何者だと言うのか」(マタイ16:15)とイエスが弟子たちに問うたときだ。「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)というペトロの答えに、イエスは、「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、天におられる私の父である」(マタイ16:17)と言った。このペトロの言葉は、「生ける神の子」イエスが、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)の姿を表す「時」を知らせる神の時宜であったのだ。 

「この時から、イエスは、ご自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた」(マタイ16:21)と書かれている。イエスは、ペトロのこの言葉から、受難と死を目指して進んで行く。 

「誰も私から命を取り去ることはできない。私は自分でそれを捨てる。私は命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、私が父から受けた戒めである」(ヨハネ10:18)とイエスが言ったように、神であるイエスは、人間として受難と死を受けるという「父から受けた戒め」を携えて地上に降った。この戒めは、黙示録において「預言の霊の仕方」で次のように実現した。「恐れてはならない。私は最初の者であり最後の者、また、生きている者である。ひとたび死んだが、見よ、世々限りなく生きており、死と陰府の鍵を持っている」(黙示録1:17~18)。 

ここから、イエスが「父から受けた戒め」は、「死と陰府の鍵」と言い換えることができる。ゆえに、イエスは、「天の国の鍵」、すなわち「底なしの淵の鍵」をペトロに授ける前に、「私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てよう。陰府の門もこれに打ち勝つことはない」(マタイ16:18)と保証したのだ。 

そして、イエスは、受難と死を受け復活した。この復活によって「父から受けた戒め」が成就し、「死と陰府」は解決した。イエスは、ご自身が「死と陰府」の問題を解決することを前提に、「天の国の鍵」である「底なしの淵の鍵」をペトロに授けた。この鍵が人の偶発的情報(本ブログ№4参照)の問題を解決することになる。

つづく

Maria K. M.


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