2022/09/12
56. ハルマゲドンと第七の天使(黙示録15~16章)
黙示録の七人の天使の七つの災いの最後は次の個所だ。「汚れた三つの霊は、ヘブライ語で『ハルマゲドン』と呼ばれる所に王たちを集めた。第七の天使が、その鉢の中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大きな声が聞こえ、『事は成った』と言った」(黙示録16:16~17)。汚れた霊、すなわち悪霊は、悪魔化(サタン化)したまま死んだ人の意志が、「人の偶発的情報」を取り込んだ知識と密着したまま地上に残って霊になったものだ(本ブログ№49参照)。そこで、意志と人の知識が切り離される場が「ハルマゲドン」であり、悪霊たちにとってまさに終末の戦いの場である。ここでイエスが話した毒麦のたとえが現実になる(マタイ13:24~30参照)。悪霊の意志と知識は、「刈り取る者」によって分けられる。「人の偶発的情報」を取り込んだ知識は、意志から引き離され、焼くために束にされる。そして、切り離された意志は、「王たちの道」(黙示録16:12)の到達地であるミサに入って来ることができる。この意志をご自分の死によって父のもとに一人一人連れて行くのは、信者に拝領されたご聖体だ。だから、両者が切り離される場であるハルマゲドンは、ミサに入る前の、いわば門前の広場だ。悪霊がここに至るためには「王たちの道」を出現させる信者が必要なのだ(本ブログ№55参照)。第七の天使が空中に注いだその鉢の中身は、ミサに向かう信者たちを照らし、守る(本ブログ№50参照)。ハルマゲドンに王たちを集めた悪霊たちにとって、神の照らしは災いと映る。この黙示録の箇所には、次のヨハネ10章の第7の節目が符合する。「多くの人がイエスのもとに来て言った。『ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった。』そこでは、多くの人がイエスを信じた」(ヨハネ10:41~42)。ヨハネ福音書において、イエスを信じた人々の中で、洗礼者ヨハネを引き合いに出した上でイエスを信じたのは、この人々が初めてだった。彼らが言った、洗礼者ヨハネが話したことの中には、次の言葉が含まれている。「世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1:29)、「私よりも先におられた」(ヨハネ1:30)、「聖霊によって洗礼(バプテスマ)を授ける人」(ヨハネ1:33)、「この方こそ神の子である」(ヨハネ1:34)。イエスのもとに来て、これらの事が「すべて本当だった」と言ったこの人々こそが、聖霊降臨後の未来に、「王たちの道」を現し、ミサの中でご聖体を前にして、「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)と、天の父がペトロに現した言葉ではっきりと宣言するキリスト者になるのだ(本ブログ№32参照)。そこで、「神殿の玉座から大きな声が聞こえ、『事は成った』と言った」のである。そして、「稲妻、轟音、雷鳴が起こり、また、大きな地震が起きた。それは、人が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの大地震であった」(ヨハネの黙示16:18)。
Maria K.
M.