イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)
2023/01/30

76. イゼベル

黙示録の2章と3章は七つの教会の天使に宛てた手紙になっている。これを読むと、これらの手紙が、イエスとその世界観を共にした弟子たちの体験を、次世代に共有させる目的で書かれたことが分かる(本ブログ№75参照)。これらの手紙は「天使」宛てであるが、この「天使」は、司祭を暗示している。その理由は、「あなた」と「あなたがた」を書き分けて、司祭と信徒のいる教会共同体をイメージさせていること、また、各手紙に書かれている「勝利を得る者」に約束していることの内容が、手紙の順を追って神学的に高度になっており、これらの手紙が一続きとして、司祭の成長のモデルを表していると見ることができるからである

天使にたとえられた司祭は、自身の不足や弱さを抱えながらも、任された教会共同体のために、「悪しき者たち」、「自ら使徒と称して実はそうでない者たち」、「バラムの教えを奉ずる者」、「ニコライ派の教えを奉ずる者たち」、また、「サタンの集会に属している者たち」と対峙している。さらに、彼の住む場所には「サタンの王座」があると言われている。手紙を受け取る司祭はこのように難しい状況の中に置かれている。しかし、最も重大な問題は、ティアティラの教会宛の第4の手紙に登場するイゼベルという女の存在である。各手紙の初めに紹介される手紙の依頼主を、この第4の手紙だけが、「神の子」だと明かしていることからも、この問題の深刻さが伝わってくる。それは次の通りだ。「あなたに言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルと言う女をなすがままにさせている。この女は、自ら預言者と称して、私の僕たちを教え、また惑わして、淫らなことを行わせ、偶像に献げた肉を食べさせている」(黙示録2:20)。

教会共同体の中で、司祭の身近にいる女性信徒の中には、自分が司祭の特別な信頼を得て、その口や手足となって教会に奉仕しているという錯覚を持つ者がいる。ここで司祭が、共同体に対して、その女性との私的なつながりを見せることに躊躇がなければ、二人の上に列王記のアハブとイゼベルのような婚姻のイメージが見え隠れするようになる。そして、彼女が、司祭の権威を後ろ盾に持ったというフィクションの世界に入ったとき、上記のような問題が引き起こされる。司祭が自身の管理能力を自負していても、神からは、「なすがままにさせている」と見える。この二人を目にして苦しむ教会共同体の信徒たちがいるからだ。

「神の子」はこの信徒たちを、次のように言って励ましている。「ティアティラの人たちの中で、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる深みを知らないあなたがたに言う。私は、あなたがたにほかの重荷を負わせない。ただ、私が来るときまで、今持っているものを固く守りなさい」(黙示録2:24~25)。「今持っているもの」とは、この預言の言葉を朗読し、これを聞く訓練を続け、イエス・キリストの世界観を保持することである。黙示録は言う。「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである」(黙示録1:3)、「見よ、私はすぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、幸いである」(黙示録22:7)。

【参考】1. 黙示録2:10,13,23,24 2. 黙示録2:7,11,17,283:5,12,21

Maria K. M.


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