イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2022/01/24

23. 神の置いた敵意とイエス・キリストの世界観

複数の人が交わるところに偶発的情報1が発生する。偶発的情報は、人の意識の領域でイリュージョンを発現し、そこに矛盾が生じる。矛盾を持って苦しむ人はフィクションを作り出し、それを人々が共有するとき「人間の仕業」が起こる。創世記で神が、初めに創造した「人」から「男」と「女」を創ったとき、2人は「人」が神から命じられた言葉を引き継いだ。そして、複数になった2人の間には偶発的情報が発生し、「女」の意識の領域でイルージョンが発現した。「園のどの木からでも取って食べなさい。ただ、善悪の知識の木からは、取って食べてはいけない。取って食べると必ず死ぬことになる」(創世記2:16~17)と神が「人」に命じた言葉は、「女」によって、「ただ、園の中央にある木の実は、取って食べてはいけない。触れてもいけない、死んではいけないから」(創世記3:3)という言葉に入れ代わった。このため「女」は矛盾に苦しみ、神の言葉を疑った2。そして、「いや、決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っているのだ」(創世記3:4~5)というフィクションを作り出し、神の禁じた木の実を取って食べた。ここで神は、「お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に私は敵意を置く」(創世記3:15)と言って、人の意識の領域に「敵意」を置いた。「男」と「女」の初子カインは、神が弟アベルとその供え物に目を留め、自分とその供え物には目を留めなかったというイルージョンに捉えられ、矛盾を持って激しく怒り、神を疑って顔を伏せた。そして、弟アベルを襲って殺した。その居場所を尋ねる神に、「知りません。私は弟の番人でしょうか」(創世記4:9)と答えたことから分かるように、彼はフィクションを作り、その中で殺人を犯したのだ。しかし、いつもカインに真摯に向き合い、真実を告げる神の言葉に、彼は正気に戻り、神に自分の気持ちを告白し、赦しを求めた。「神が置いた敵意」が初めて人の意識の領域で起動し始めたのだ。「神が置いた敵意」が働くときには、いつも人に真摯に向き合い、真実を告げる神の言葉がある。神の言葉は、まず人の意識の領域に入る。この神の言葉を無意識の領域に迎え入れる都が、イエス・キリストの世界観である

【参考】1. 本ブログ№42. 創世記3:13. 黙示録21:9~27

Maria K. M.


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