イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2022/09/19


57. ヨハネの黙示の構成 その2

本ブログ№47で、イエスの誕生にまつわる新約聖書の登場人物の世界観に基づく行動原理を確認しながら、ヨハネの黙示の構成について考察した。ヨハネの黙示は、新約聖書成立を預言し、訓練者にイエス・キリストの世界観を注入しつつ、後半に入ると、「幸い」が次々に現れ、訓練者に同伴して聖霊の養成とミサに向かわせる。この構成は、福音書の流れを反映していると言える。そのことは本ブログ№50から前回までの考察によって明らかになった。ここで、ヨハネの黙示を朗読し、その声を聞く訓練を続けながら、聖霊の養成に与かる訓練者を考慮して、黙示録の初めから16章までの考察をまとめてみよう。訓練者は、新約聖書成立の預言を受け取り、竜や獣、偽預言者や悪霊たちの出現を乗り超えて、偶発的情報を区別する習慣を身につけながら、イエスの道を進み、ミサに向かう「王たちの道」を現した(本ブログ№56参照)。これによって、悪霊の救いを助け、第七の天使が空中に注いだ鉢の中身によってハルマゲドンから守られた。そして、「神殿の玉座から大きな声が聞こえ、『事は成った』と言った」(黙示録16:17)。次いで、ミサの始まりを告げる黙示録最後の大イベントが起こった(黙示録16:18参照)。しかし、ミサの挙行は先送りされた。それは、「あの大きな都は三つに引き裂かれ、諸国の民の方々の町が倒れた。神は大バビロンを思い起こし、怒りに満ちたぶどう酒の杯をこれにお与えになった」(黙示録16:19)という出来事が挿入されたからだ。続く「島々は逃げ去り、山々も消えうせた」(黙示録16:20)との言葉が、時間の経過を示し、これが預言であることを表している。さらに、「一タラントンほどの重さもある大粒の雹が、天から人々の上に降った。人々はその雹の災いのゆえに神を冒瀆した。被害があまりにも大きかったからである」(黙示録16:21)と書かれた文の「雹」の災いは、イザヤ書にも「私は公正を測り縄とし、正義を下げ振りとする。雹は偽りという逃れ場を一掃し、水は隠れ場を押し流す」(イザヤ28:17)とあるように、神の裁きを示唆している。この流れは、17章冒頭の「さて、七つの鉢を持つ七人の天使の一人が来て、私に語りかけた。『ここへ来なさい。大水の上に座っている大淫婦に対する裁きを見せよう。地上の王たちは、この女と淫らなことをし、地上に住む人々は、彼女の淫行のぶどう酒に酔いしれている。』それから天使は、霊に満たされた私を荒れ野に連れて行った」(黙示録17:1~3)にそのままつながる。黙示録の中で、著者ヨハネは、自身が4回「霊に満たされた」ことを記載している。上記の「霊に満たされた私を荒れ野に連れて行った」と言うフレーズは第3のものだ。ここに、黙示録の新たな構成をみることによって、黙示録1619節の預言が挿入され、ミサの挙行が先送りにされたことの意味を理解する鍵があるのではないか。次回からこのことを念頭に考察を続ける。

Maria K. M.

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