イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2022/03/21


31.イエスの「私の教会」

前回、イエスの「私の教会」が三人のマリアとして誕生した次第を考察した。イエスが「私の教会」について語ったのは、弟子たちにどのような土台の上に「私の教会」を建てるかを教えたときだった。まずイエスは、弟子たちに「あなたがたは私を何者だと言うのか」(マタイ16:15)と尋ねた。このときペトロは、「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)と答えた。イエスが「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、天におられる私の父である。私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てよう。陰府の門もこれに打ち勝つことはない」(マタイ16:17~18)と応じたように、イエスの「私の教会」は、いわば、ペトロが答えた言葉の上に建てられるのだ。ゆえに、この土台の上に建てられる教会も、土台と同じ言葉を持っていなければならない。考えてみると、ペトロが答えた言葉は、初めてヨセフの夢に現れた天使が「この子は自分の民を罪から救う」(マタイ1:21)と言った言葉と、マリアが天使から「生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(ルカ1:35)と告げられた言葉が一つになったものだ。したがって、聖家族をイエスの「私の教会」のモデルとすることができる。イエスを子として迎え入れた聖家族は、イエスが神であったために、イエスが語った父と子と聖霊の似姿に準備された。イエスの「私の教会」が三人のマリアとして誕生した理由もここにある。さらに、イエスが「幸いだ」と言ったように、イエスの問いとペトロの答えは、ヨハネの黙示とリンクして、新しい空間と結ばれることになる。世界規模でつながるネット上の共同体や組織が日常のこととなった現代、イエスの「私の教会」が聖家族をモデルに神の似姿として現れるなら、聖書の世界を現実のものにし、高度情報化社会に神のイメージを注入する機会になる。十字架上ですべての人々を引き寄せるイエスの「私の教会」は、訪れる人々が、そこで実際に神を見て、体験することのできる共同体であるという重要な役割を担っている。そうであれば、キリスト者は、新しい男と女のためにイエスがもたらした新しい役割に向けて、自らを養成する必要に気付く。次回も今回のテーマを続ける。

Maria K.M.


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