イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2022/03/14

30. 三人のマリア

4つの福音書は、十字架上のイエスの最期の言葉を、それぞれに伝えている。しかし、その内容をみると、これらの言葉が次のように時系列に並ぶことに気付く。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(マタイ27:46、マルコ15:34)→「父よ、私の霊を御手に委ねます」(ルカ23:46) →「成し遂げられた」(ヨハネ19:30)。これは、まるで福音書の著者たちが「成し遂げられた」という出来事に向かって申し合わせて書いたかのようだ。十字架上でイエスは、前晩に使徒たちに示した新しい契約を正式なものにするために、御父がその当事者を引き寄せるのを待っていた。御父が引き寄せなければ誰もイエスのもとへ来ることはできないからだ。苦しみの中で、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」というイエスの嘆願の叫びは、ゲッセマネの園のイエスの祈りと同じく、「父よ、私の霊を御手に委ねます」という言葉に取って代わられる。やがて、十字架のそばに御父が引き寄せた人々が集まった。ここで個人を特定できるのは、イエスの母マリア、クロパの妻マリア、マグダラのマリア、そして、「愛する弟子」である3。この弟子は、福音書の他の記述から使徒ヨハネだ。イエスは、十字架のそばにいるご自身の母マリアと使徒ヨハネを親子の絆で結んだ。そして、その時から、使徒ヨハネはイエスの母を引き取った。これによって使徒は、受肉の神秘を受け取ったイエスの母の権威の正当な相続者となった。事の成り行きをすべて目撃した他の二人のマリアは、その証人である。同時にイエスの母と使徒と共に、十字架の神秘が成し遂げられたことの証人となった。「成し遂げられた」とは、新しい契約の締結であり、預言の実現であった。受肉の神秘は、マリアの承諾と、ヨセフがマリアを迎え入れたことによって、聖家族を生み出した。十字架の神秘は、イエスの母マリアの承諾と、この時から使徒が彼女を家に引き取ったことによって、「私の教会」(マタイ16:18)を生み出すことになった。ここで、使徒の名が隠されていることから、「私の教会」は三人のマリアとして誕生する。イエスのわき腹から流れ出た血と水は、彼らに降りかかり、彼らを浄め、危険が彼らを過ぎ越すしるしとなった6。聖霊は、こうして守られた「私の教会」の上に降臨する。

【参考】1. マタイ26:28、マルコ14:24、ルカ22:202. ヨハネ6:443. ヨハネ19:25~264. 本ブログ№185. エレミア31:31~346. 出エジプト記12:1~7

Maria K. M. 


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