2022/11/28
67. 聖体拝領
さらに、前回考察したように、ご聖体の前で「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)と、すべての拝領者が宣言するようになれば、正しく拝領する責任は拝領者自身にある。たとえ子どもであっても、教会が認めた拝領者は、神の前で責任ある振舞いを求められるのは当然であり、そのように養成されねばならない(本ブログ№37参照)。このように整備されれば、もはや唇を開き舌の上で聖体拝領をする必要はない。むしろ危険は、自分の前で跪いて唇を開き、舌を出す人々を、ミサの度ごとに目の当たりにする司祭自身にある。これらの人々を立って見おろす司祭は、「キリストの代理者である聖なる牧者」(第2バチカン公会議教会憲章37節)としての“司祭職”の権威が、自分自身にあると錯覚する危険にさらされる。
また、唇は人体のデリケートな器官の一つである。それにもかかわらず、司祭の指が、拝領者の唇に触れる可能性がある聖体拝領の仕方は、早々にやめるべきだ。さらに、聖体拝領をする信徒の中には、衣服の胸を大きく開けた女性たちや、生き生きとした唇を無邪気に開く若者や子どもたちもいる。これらの現実は、ある司祭たちにとって、大きな危険をはらんでいる。本ブログ№61と№62で紹介したダニエル・ピッテ氏は、その手記の中で、「私の言葉は、時として不快なものになるかもしれません」と前置きしながら、次のように書いた。「(その司祭は)大きくなった“もの”を自分の下着から引っ張り出し、強引に私の口に押し付けました。あっという間の出来事でした。まるで夢でも見ているかのようでした。彼の“もの”からは、生温かい液体があふれ出てきました。それでお終いでした。」教会は、このような膨大な数の被害者たちを前にして、教会全域から危険の種をすべて取り去ることで、誠意を示す義務がある。
Maria K. M.