イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2023/10/23


114. 使徒の継承者 その9

黙示録19章の第4の「幸い」は、完成されたミサ典礼の効果を預言している。それは、白い馬と騎手、太陽の中に立っている天使、底なしの淵の鍵と大きな鎖を手にした天使によって描かれた。この中で信者は、自身の欲や、自身の知識として取り込んだ人の偶発的情報が明らかに示され、浄化される。 

やがて、イエスが荒れ野で手本を見せたように、人の偶発的情報をはっきりと区別する習慣が身についてくるのである(マタイ4:1~11参照)。そこで、黙示録は次のように描写した。「また私は、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた」(黙示録20:4)。これは、完成されたミサ典礼の中では、多くの信者たちが、自身の記憶の中はもとより、共同体の中に発生する人の偶発的情報をはっきりと区別することができるということである。 

この黙示録の記載は、「よく言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に着くとき、私に従って来たあなたがたも、十二の座に着いて、イスラエルの十二部族を裁くことになる」(マタイ19:28)というイエスの証しが、黙示録において預言の霊の仕方で実現したものだ(本ブログ№98参照)。 

マタイ福音書のこのイエスの言葉は、ある時、ペトロがイエスに、「このとおり、私たちは何もかも捨てて、あなたに従って参りました。では、私たちは何をいただけるのでしょうか」(マタイ19:27)と問うたときのイエスの返事であった。 

続けてイエスは、「私の名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」(マタイ19:29)と言って、ペトロの「何もかも捨てて」の意味を明確にしている。ここでは、メシアを待つ旧い契約の民としての彼らの在り方を捨てることであった。それによって、生ける神の子をメシアとしていただき、永遠の命を受け継ぐという「その百倍もの報い」を受けることができる。 

聖霊が降臨した後の信者たちにとっては、「人の子が栄光の座に着くとき」とは、ご聖体が信者たちの前にその姿を現す時である。キリストの体は、神の玉座だからである。「イスラエルの十二部族を裁くことになる」とは、ミサの中で信者達が、ご聖体を、神の子メシアであると公に告白することで、「私は、天から降って来た生けるパンである」(ヨハネ6:51)というイエスの言葉を信じる新しい契約の民として、自らを他のすべての在り方と区別するようになるということである。 

そして、その日には、「あなたがたは私を何者だと言うのか」(マタイ16:15)と問うイエスに、ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)と答えたとき、イエスが、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、天におられる私の父である」(マタイ16:17)と言った「幸い」が、多くの信者のものになるのである。 

つづく

Maria K. M.


人気の投稿