2025/01/27
180. 御父の熱情と新しい男と女
前回考察したように、御父の熱情は、新しい民、キリスト者の男性の上に注がれていた。それは、神が、「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」(創1:26)と言って始めた御業が、創世記1章にすでに書かれた時点、すべてのものを御覧になって、「見よ、それは極めて良かった」(創1:31)と言った時点に到達するためである。
創世記において、神が自ら土の塵で形づくった初めの「人」は、「第一の人」であった。次に神は、この初めの「人」のあばら骨の一部から女性を創造した。彼女は「第二の人」であり、神の創造の助け手として人の命を生み出す女性となった。ゆえに女性は、体内に人の命となる多くの卵子を持ち、その記憶は、女性に他者の命に開かれた本性をもたらす。この本性は、神と共にあり、神であり、万物を成し、その内に命を持つ「言」(ヨハ1:1~4参照)、第二のペルソナである御言葉との親和性が高い。女性が、初めに言葉を発し、「人間の情報」(蛇)とのやり取りが始まったことからもそれが分かる(3:1~6参照)。
そして、神は、「第一の人」からあばら骨の一部を抜き取った後、その跡を肉でふさいで「第三の人」、男性を創造した。男性は、女性を見て自身の肉体的不足を知ることとなった(創2:23参照)。その不足の記憶は、男性にそれを満たすために他者に向かう本性をもたらす。神は、男性がこの本性を挙げて神の第三のペルソナである聖霊に向かうようになるために、民を選び、預言者を立て、いくつもの契約を結びながら熱情を注いで導いた。そしてついに、御子を遣わしたのである。ヨハネ福音書の17:6~19のイエスの祈りは、御父の熱情を背負い、これを全うした御子の思いである。そこに映された深い神の愛は、逝こうとしている母が、残していく子を思って祈る姿をイメージさせる。
時が満ちて神は、ナザレのマリアの協力を得て、神の第二のペルソナをイエス・キリストとして世に遣わした。こうして、空きになっていた「第一の人」のポストは、人々と共にいる神のものとなった。旧約聖書には、女性が性交によらず子を生むことがすでに預言されていた(イザ7:14参照)。それは、新約聖書において、ナザレのマリアによって実現した。1978年イギリスで最初の体外受精による子供が誕生して以来、すでに多くの女性が性交によらず子を生んでいる。イエスの誕生によって起こった出来事は、未来の私たちの時代についての預言になった(黙19:10参照)。このように預言が実現していく過程は、人の歴史に神の現実が関わっていることを実証している。
以上のことから、神が人を男と女に創造したのは、人が聖霊によって三位一体の神の似姿になるためであったということが分かる。ゆえに、イエス・キリストは、選んだ使徒たちを、ご聖体を生み出す新約の司祭職へと導いたのであった。司祭職を受けた使徒たちは、イエスがご自身の十字架上の死によって生み出した教会の土台となった(黙21:14参照)。サン・ダミアーノの十字架像に描かれた教会は、確かに、新しい男と女に創造された人々によって構成されている。そこには御父の熱情が聖霊を通して吹き込んでいる。
Maria K. M.