イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2021/08/30


2. 世界観

毎日ヨハネの黙示の言葉を朗読し、その声を聞くように努力していると、文中で強調されている「すぐにも起こるはずのこと」が自分に起こる。それは、自分が言った言葉、自分に日常的に起こる些細な出来事の中に、隠された意味を見つけるようになり、聖霊が言葉ではなく意味で導くことを体験する機会に恵まれるということだ。そういうことは、他でも起こるよ、と言う人もいるかもしれないが、私の場合はとにかくここで起こった。さらに、このごろ私と同じようにヨハネの黙示を朗読している人たちと話す機会に、おもしろいことを知った。彼らは自分たちに「すぐにも起こるはずのこと」が起こっているのに、それに気が付かないでいるのだ。彼らは、知らずに自分の言動や、自分に起こる出来事の中に、これまでになく隠された意味を見つけた経験を語っている。これを指摘すると、彼らは驚きながらも自分にそれが起こっていたことを認めた。そんなことを言い合っているうちに、私たちは、その日、私たちの間で、互いが語る信仰の話の通りがよく、価値観の共有が早いことに気付いた。これまでけして交わることのなかった互いの言い分が再び出てきても、まるで相手を自分が見聞きしたことのように理解することができる。これは、私たちが、日々ヨハネの黙示の言葉を朗読し、その声を聞くように努力しながら、イエス・キリストとその世界観を共有し始めているのだと思った。イエスが語る「私の名によって」とは、人がイエスとイエスの世界観を共有していることを意味しているのではないだろうか。

【参考】『神学の河口』№22「ヨハネの黙示と聖霊の2つの霊性」№24「白い衣」

Maria K. M.


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