イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

2022/12/19


70. 狭い門から入りなさい

新約聖書には、神の計画を引き取った3人の記事がある。マリアと胎内の子イエスを引き取ったヨセフ、十字架のそばでイエスの母を引き取った使徒ヨハネ、復活したイエスの前で、イエスの遺体を引き取ると宣言したマグダラのマリアである。そして、イエスの十字架のそばには、使徒ヨハネとマグダラのマリア、すでに亡くなっていたヨセフに代わってクロパの妻マリアが呼ばれていた。これらの人々が、天の父がペトロに現した言葉の上にイエスが建てると言った「私の教会」(マタイ16:18)を具現している。十字架上のイエスのわき腹から流れ出た血と水を浴びた3人は、神と人との間に結ばれた新しい契約の証人である。そこでこの3人は、それぞれの異なる役割に呼ばれ、その召命を表す名を帯びている。

クロパの妻は、イエスの「私の教会」の中で、マリアとともにイエスを守り育てたヨセフの役割を継ぐために、ヨセフの名を帯びている。イエスの遺体を引き取ると宣言したマグダラのマリアは、地上で両親に仕え、また、ヨセフの死後も母に仕えていた人間イエスの役割を継ぐために、イエスの名を帯びている。そこで、この名の持つイメージから、女性の中には自分に司祭の召命があると感じる者がいるが、それは間違いだ。司祭の召命は次のようにイエスの母を引き取った使徒ヨハネにある。使徒ヨハネは、み言葉を証しする聖霊と協働することになる司祭として、初めに聖霊が降りいと高き方の力に包まれたイエスの母マリアの役割を継ぐためにその名を帯びている。十字架上でイエスは、母と使徒を親子の絆で結んでその証とした。イエスが、過ぎ越しの食事の準備の時、ペトロとヨハネの二人を共に遣わしたことから(ルカ22:8参照)、イエスの母マリアの役割が、ペトロとともに担うものであったことが分かる。聖霊が降臨すると、ペトロとヨハネはいつも共に祈り、活動していた(使徒言行録3:1~4:318:14~25参照)。

イエスが、「命に通じる門は狭く、その道も細い。そして、それを見いだす者は少ない」(マタイ7:14)と言ったこれらの召命の道は、ある人々には難解に見えるかもしれない。それでもイエスは「狭い門から入りなさい」(マタイ7:13)と語りかけている。21世紀の今日の人々を見ると、性差よりも個人差の方がより際立って目に付くようになった。それは、誰の脳にも共に存在している男性性と女性性が、よくバランスを取るようになったからだという。この気づきに慣れていけば、上記のキリスト者の召命のロジックは、さほど難しくない。教会が、前回まで考察したような大惨事に至った道は、人の真の親である神を、婚姻のイメージを持って眺める多くの人々によってつくられてきた。それは、イエスの次の言葉を証しすることになった。「滅びに至る門は大きく、その道も広い。そして、そこから入る者は多い」(マタイ7:13)。

Maria K. M.


 

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