2024/08/05
155. 司祭職と教会の天使
前回、「さて、最後の七つの災いの満ちた七つの鉢を持つ七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。『ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。』」(黙示録21:9)の句を考察し、「小羊の妻である花嫁」は、主の十字架であり、イエスの言葉を記念として行う司祭自身が背負っている職務、司祭職であると結論付けた。今回、この天使のように、黙示録に登場する天使と司祭職について考察する。
黙示録の初めに、著者は、ラッパのように響く大声が、「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ」(1:11)と言うのを聞いた。そして、「○○にある教会の天使に、こう書き送れ」という書き出しと共に、それぞれの教会に手紙を書き送るように指示される。これらの手紙の中には、「あなた」と「あなたがた」を書き分け、司祭と信徒のいる教会共同体をイメージさせるものがある(スミルナ、ペルガモン、ティアティラ)。また、手紙の受け手が、自身の不足や弱さを抱えながらも、任された教会共同体のために、さまざまな問題と対峙する様子が描かれている。「天使」は司祭である。しかし、司祭が「天使」と呼ばれるのはなぜであろう。
他の箇所で、天使は自分自身を、「わたしは、あなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である」(19:10)と言っている。「イエスの証しを守っている」という言葉は、黙示録の中では、この箇所と、「竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った」(12:17)の文中の2か所のみである。そして、この「竜」の場面には、「女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった」(12:6)と書かれていることから、この「女」すなわち司祭職は、「荒れ野」である使徒たちの記憶に隠されたと考えてきた。
福音書は、イエスが「仕える者」について使徒たちに語り、彼らの記憶にこの御言葉を注ぎ込んでいった事を記している(マタイ20:26~28、マルコ9:35、10:43~45、ルカ22:26参照)。使徒たちの記憶には、天使が自らについて言った「仕える者」という御言葉が置かれていたのだ。この御言葉は、イエスご自身である。イエスは最期の食卓で、使徒たちに「仕える者のようになりなさい」(ルカ22:26)と命じ、「食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である」(ルカ22:27)と言っている。このようなわけで、七つの手紙の受け手である司祭も仕える者として、「天使」と呼ばれているのである。そして、ここから、「仕える者」が使徒たちの記憶に隠されていた司祭職の実像であったことが分かる。
そこで、再び、黙示録の七つの手紙に戻り、それぞれの手紙の内容を、「仕える者」という御言葉を念頭に見直すと、そこに書かれた様々な問題に答えが見えてくる。さらに、各手紙の最後にある「勝利を得る者」に与えられる報いの内容は、「仕える者」の新しい姿を示し、それらは、終わりにイエスの食卓に行き着く(注)。司祭職は、天使がそうであるように、イエスの証しを守っている兄弟たちと共に、仕える者である。それは、すべての人をイエスの最期の食卓に導く。これらのことが分かるのは、私たちがすでに新約聖書を手にしているからだ。ヨハネの黙示録は、七つの教会に送る手紙の後、「ヨハネの黙示録の預言的構成」(下図参照)の第3の預言、「新約聖書成立の預言」(4~11章)に進む。
(注)「勝利を得る者」の受ける報い
1.「勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう」(黙示録2:7/エフェソ)
2.「勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない」(2:11/スミルナ)
3.「勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている」(2:17/ベルガモン)
4.「勝利を得る者に、わたしの業を終わりまで守り続ける者に、わたしは、諸国の民の上に立つ権威を授けよう。彼は鉄の杖をもって彼らを治める、土の器を打ち砕くように。同じように、わたしも父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える」(2:26~28/ティアティラ)
5.「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す」(3:5/サルディス)
6.「勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。わたしはその者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう」(3:12/フィラデルフィア)
7.「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように」(3:20~21/ラオディキア)