イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2023/10/02


111. 使徒の継承者 その6

前回考察したように、創世記の初めの「男」と「女」が犯した過ちの原因は、全く異なる性質のものであった。従って、神の対応も異なっていた。「蛇」に騙されて神の言葉に背いたことを、神の前で告白した「女」の過ちを、神は、その場で「神の置いた敵意」によって贖った。このため、「女」は苦しんで子を産むという重責を担ったが、彼女とその子孫である女性は、贖いの業を免れた。他方、アダムの犯した二重の過ちに対して、神は、「額に汗して糧を得る」という贖いの業を命じ、それは、子孫の男性にまで及んだ(創世記5:28~29参照)。 

イエスは、この贖いの業を完成し、多くの人の罪が赦されるために、ご自分の血による新しい契約を目指していた。そこで、使徒ペトロが、天の父が現した言葉、「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)を言った場面と、ベタニアのマルタが、イエスに導かれて、「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じています」(ヨハネ11:27)と言った場面には、共通点がある。まず、どちらの場面でも、二人の応答が、その時神の御業のしるしとなる「復活」のテーマを持っていたイエスに、行動を起こす時宜を確信させたこと。次に、イエスがこの機会に「悪魔でありサタンである竜、すなわち、いにしえの蛇」(黙示録20:2)にたとえられた人の偶発的情報を区別するように彼らを導いていることである。 

イエスは、受難と死と復活について弟子たちに打ち明け始めたイエスをいさめたペトロに、「サタン、引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者だ。神のことを思わず、人のことを思っている」(マタイ16:23)と厳しい言葉を浴びせた。それは、これからイエスが結ぶ新しい契約と、神の贖いの業を継承するのは、男性であり、使徒であるペトロ、天の父が現した言葉を言ったその人だったからである。ペトロは、自身の内にある人の偶発的情報を取り込んだ「人の知識」と「神の知識」とを、区別しなければならない。 

また、ラザロを生き返らせるにあたって、「その石を取りのけなさい」(ヨハネ11:39)と命じたイエスに、「主よ、もう臭います。四日もたっていますから」と言ったマルタを、イエスは、「もし信じるなら、神の栄光を見ると言ったではないか」(ヨハネ11:40)と言ってたしなめた。創世記の初めの「女」がそうであったように、体内に他者を宿すように創造された女性は、自身の脳に入った人の偶発的情報を、他者と感じる感性が強い。しかし、女性は、「女」がそのありさまから、それを「蛇」と呼んで騙されたようにではなく、人の偶発的情報であることを意識し、区別しなければならない。 

「あなたはメシア、生ける神の子です」という天の父がペトロに現した言葉は、これらの理解の基盤であり、教会が建つ岩である。それは、ミサ典礼の中心となるべき言葉だ。ゆえにイエスは次のように言った。「私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てよう。陰府の門もこれに打ち勝つことはない」(マタイ16:18)。

つづく

Maria K. M.


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