2022/01/03
20. つながり
小羊が七つの封印の初めの4つを順に解いたとき、4つの福音書にちなんだ馬が現れた(黙示録6:1~8)。このように、ヨハネの黙示の前半は、言葉の符合や暗示を使って、新約聖書の他の書とのつながりを示唆しながら、その成立を預言した。また、節目に登場する「イベント」が、11章の終わりでミサの準備が整ったことを知らせた1。そこで、12章の冒頭に「女」の姿で天に現れた大きなしるしが、ミサを立てる聖霊と使徒が協働する姿を表していることは明らかである。続いて、「女は身ごもっていて、産みの痛みと苦しみのために叫んでいた」(12:2)という描写は、迫害を受け、日々の労苦を負いながら、聖霊とともにミサを立て、聖霊によってご聖体を生み出そうとする使徒たちの姿を表している。このことは、それがヨハネ福音書の最後の夕食の席でイエスが語った言葉と符合することからも分かる。「よくよく言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、世は喜ぶ。あなたがたは苦しみにさいなまれるが、その苦しみは喜びに変わる。女が子どもを産むときには、苦しみがある。その時が来たからである。しかし、子どもが生まれると、一人の人が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。」(ヨハネ16:20~21)。イエスは、聖霊の「助け手」として、み言葉を生むことになる使徒たちを、身ごもった女にたとえた。イエスの聖体制定の言葉を直に聞き、その記憶に、パンと葡萄酒がキリストの体と血になるみ言葉を刻んだ使徒たちは、聖霊の「助け手」として、聖霊がご聖体を生み出すみ言葉を身ごもった。まさに一人のマリアのようになったのだ。このように、聖霊のために取り置かれた使徒たちを、聖霊が降臨するそのときまで、イエスは、一人も失ってはならなかった2。イエスは、使徒たちに、彼らが散らされて自分の家に帰り、イエスを独りきりにする時が来るのだと予告し、彼らをご自分の受難と死から遠ざけた。そして、これらの予告は実現し、使徒たちは守られた。ただイエスの愛しておられた弟子だけが、イエスの母とクロパの妻マリア、マグダラのマリアを連れてイエスの十字架の下まで行った。それは、十字架上のイエスが命じた通り、イエスの母と弟子との間を親子の絆で結ぶためであった。このときこの弟子は、イエスが言っていた「決して死なない者」が自分のことだと確信していたにちがいない3。
【参考】1. 本ブログ№18、2. ヨハネ18:9、3. マタイ16:28、マルコ9:1、ルカ9:27、ヨハネ21:23
Maria K. M.