2024/01/01
124. 神の母聖マリア
ナザレのマリアがイエスを身ごもった時、夫ヨセフに夢で現れた天使は、「マリアに宿った子は聖霊の働きによる」(マタイ1:20)と告げている。また、マリアが、エリザベトを訪問した時、「力ある方が/私に大いなることをしてくださったからです」(ルカ1:49)と言った言葉から、彼女が自身に授かった聖霊の働きをよく自覚していたことが分かる。
図1 |
一方で、人は図2のように創造された。神が吹き込んだ「命の息」は自発的に「命の木」とつながれば、創世記で神が「我々の姿に人を造ろう」(創世記1:26)と言ったように、「私はある」という神の本質と似た姿になる。「私はある」という言葉は、神のご意志と神の知識の両方が合わさっている姿だ。
図2 |
この「善」の姿は「善悪の知識の木」に伝わり、「善悪の知識の木」が「善」の姿を知ると、人の偶発的情報を区別するようになる。しかし、神のものである「命の息」がいつ自発性を発揮するかを、神は気づかなかったように見える。神は、神のものである「命の息」の自由のために、その全能性をセーヴしたのかもしれない。
エデンの園を追放された後も、人の中で「神の置いた敵意」は息づいていた。やがてこれに鼓舞された「善悪の知識の木」が機能し、神の声に聞き従う預言者が現れるようになった。
長い時を経て、イエスが降誕する時代には、洗礼者ヨハネ、マリアやヨセフのような人々が現れるようになった。時が満ちたのだ。神は、神の慈しみが代々限りなく主を畏れる者に及ぶために(ルカ1:50参照)、マリアを神の母に選んだ。
Maria K. M.