2021/11/29
15. 第五、第六の封印
「小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神の言葉のゆえに、また、自分たちが立てた証しのゆえに殺された人々の魂を、祭壇の下に見た」(黙示録6:9)。この描写の「自分たちが立てた証し」は、イエスの最後の食事の後に書かれた次の個所に、その根拠がある。「ペトロは、『たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは決して申しません』と言った。弟子たちも皆、同じように言った」(マタイ26:35)。使徒たちは、自身で全うできなかった証しを、聖霊が降臨したことによって成し遂げた。彼らを「祭壇の下」に見たのは、「こうして、あなたがたは、私の国で食卓に着いて食事を共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を裁くことになる」(ルカ22:30)というイエスの言葉が実現する時、その役目をすぐ務めるためである。第5の封印は、使徒たちの宣教、投獄や殉教が書かれている使徒言行録だ。小羊が第6の封印を解いたときの描写は、パウロの回心と、それが人々に大きなショックを与えたことを暗示している(黙示録6:12~17)。ここで、「神と小羊の大いなる怒りの日が来たのだ。誰がそれに耐えられようか」(黙示録6:17)という表現の「怒りの日」と言う言葉は、新約聖書の中では、この箇所と次の使徒パウロの「ローマの信徒への手紙」の中だけにみられる。「あなたは、かたくなで心を改めようとせず、怒りの日、すなわち、神の正しい裁きの現れる日に下される怒りを、自分のために蓄えています」(ローマ2:5)。そしてこの箇所のパウロの教えを読むと、上記の黙示録の内容の根拠となっていることが分かる。第6の封印はパウロの書簡である。続く黙示録7章は、パウロの書簡がもたらす偉大な働きの結果について言及している。ここに描写された「彼らはあらゆる国民、部族、民族、言葉の違う民から成り、白い衣を身にまとい、なつめやしの枝を手に持って、玉座と小羊の前に立っていた」(黙示録7:9)という文は、使徒言行録のアナニアに命じた主の言葉と符合する。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らの前に私の名を運ぶために、私が選んだ器である」(使徒言行録9:15)。
Maria K. M.