2021/09/27
6 イエスの弟子たち
聖パウロの回心に関わったダマスコのアナニア*1について、私は何度も考察してきた。アナニアが、幻の中で主と話した内容とその後の行動は、主イエスの弟子として訓練された者の姿を克明に物語っているからだ。アナニアは主の声に慣れ親しんでいて、神の言葉と向き合う自分の姿勢に信頼し、自分の考えていることを率直に主に話す。だからパウロを訪ねるように命じたイエスに「主よ、私は、その男がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて縛り上げる権限を、祭司長から受けています」(使徒言行録9:13)と答えた。主イエスと弟子のこの関係は、弟子が神の置いた敵意に常に目覚め*2、偶発的情報をしっかりと区別するための基礎になる。アナニアは、自分の聞いた噂が信頼できる仲間からのものであり、パウロについての悪い情報が確かなものであっても、迷うことなくみ言葉の側に付いた。「弟子は師を超えるものではない。しかし、誰でも、十分に訓練を受ければ、その師のようになれる」(ルカ6:40)というイエスの言葉は、主イエスと共に歩んだ弟子たちの上に実現していた。彼らは、主の声に慣れ親しみ、イエス・キリストとその世界観を共有して、神の言葉と向き合う自分の姿勢に信頼した。この姿勢を身に着ける訓練は、後世に続く弟子たちのために、ヨハネの黙示に託された。
【参考】*1 使徒言行録(9:1~20)。*2 本ブログ№5