イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2024/06/10


147. 悪霊

新約聖書には、旧約の時代よりも、悪霊や汚れた霊が頻繁に登場するようになった。それは、「神が置いた敵意」そのものであるイエスが、キリストとして現れたことによって、悔い改めの余地がない死後の人間に救われる可能性ができたからだ。 

ペトロは、「キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました」(ペトロ一3:18~19)と手紙に書いた。彼は、「サタン」とはイエスの邪魔をする者であり、神のことを思わず人間のことを思っている者であることを、イエスから身をもって教えられていた(マタイ16:20~28参照)。さらに、自分がイエスから授かった悪霊を追い出す権能を行使した経験から、悪霊が、悪魔やサタンとは違うことを感じ取っていた。 

悪霊たちは、再び死を体験しようとして、取りつく隙がある人を見つけるといっせいに入り、取り殺そうとする。「第二の死」を味わうことなく救われたいのである(黙示録20:14,21:8参照)。しかし、取りつかれた人は生きていて、神の命令(~あれ)と、それに応える自発性と相応の知識と記憶からなる魂があるために、悪霊たちに抵抗して非常に苦しみながらも死ぬことはない。そのさなかでイエスと出会った悪霊たちは、わめきながらひれ伏し、「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい」(ルカ8:28)と大声で言った。イエスが、汚れた霊に、その人から出るように命じられたからである。 

ここで悪霊たちは、「底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った」(ルカ8:31)とある。それは、悪霊たちの「命の息」に張り付いている知識が、もともと「人の偶発的情報」、すなわち、黙示録で「年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者」(黙示録12:9)と書かれたものだったからである。イエスが神の子だと知っている悪霊たちは、この知識が、「底なしの淵」(黙示録20:1)や「火と硫黄の池」(黙示録20:10)に投げ入れられ、彼らが第二の死を味わうことも知っていたのだ。 

そこで悪霊たちは、豚の中に入る許しをイエスに願った。おそらく、神の子イエスの前にいたたまれなくなったのであろう。イエスが許されたので、彼らは豚の中に入って共に溺れ死んだ。しかし、霊である彼らは、どんなに望んでも再び死ぬことはできない。彼らには、ただ、霊においてキリストが助けに来るのを待つことしかなかったのである。 

悪霊の自発性は、神ご自身が吹き入れた「命の息」であり、神は、それが誰のものであるかを知っている。そして、それに張り付き、それが背負わされている知識もまたその人のものである。ゆえに、死んでも神のもとへ帰れず、この世をさまよい苦しむ地獄からその人の「命の息」を救うことを神は計画していた。それはペトロが書いたように、神が死んで、捕らわれていた霊たちのところへ行って、神の自発性と神の知識、すなわち「わたしはある」によって彼らの「命の息」を引き寄せ、それに張り付いている知識を引きはがし、天の父のもとへ連れて行くというものであった。 

前回考察したように、創世記の二人においては、彼らの魂が、情報を自らの知識として取り込み、嫉妬の感情に刺激され肥大した欲求を満足させるために「善悪の知識の木」とつながった。さらに「命の木」を飛び越え「命の息」とつながった。彼らの脳内で起こったこれらのプロセスが、神が食べることを禁じた木の実を取って食べるという実際の行為として現れた。この創世記の二人以来、人の魂は「善悪の知識の木」とつながったままでいるのである。だから、今も多くの人は、容易に彼らに追従することになる。しかし、そのまま死ねば、欲求を満足させる知識が「命の息」に張り付いて離れず、また悪霊が一人地上に生まれ、さまようことになる。 

私たちは、悪霊候補者になってはならないのである。そのためには、「神が置いた敵意」の働きが見えるようになることが不可欠である。その働きは、イエス・キリストの世界観を持てば、誰でもすぐに明確に見ることができる。だから、ヨハネの黙示の冒頭には次のように書かれている。 

「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである」(黙示録1:1)。 

Maria K. M.



人気の投稿