5. 噂ばなし
前回、創世記に登場する蛇は、複数の人の間に発生する偶発的情報だと述べた。この適例に噂がある。噂はその出どころがなんであれ、蛇が這うようなイメージで人々の間を行き来する。偶発的情報は、もともと動物や自然の間にも発生する情報だから、人の感覚に心地よく、思考にもするりと入ってくる。ここで人は、往々にして、自分と他人とを区別するように、自分の思考と偶発的情報とを区別せずに、それを拡散しようとする。しかし、自分が拡散した情報と自分の思考との間にしばしば矛盾が起こる。この矛盾は、持った人に恐れを抱かせ、真理と希望を目指す歩みのかかとを砕く。キリスト者であれば、イエスと共に歩むことを躊躇させる。神は人々をこのような危険から守るために、太古の昔に蛇に向かって「お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に私は敵意を置く」(創世記3:15)と宣言したのだ。神の置いた敵意は、人の感覚に偶発的情報が入ったとき、人の記憶の中で敵意を発して警戒させる。人は、偶発的情報を他者として区別するために、神の置いた敵意に常に目覚めている必要がある。キリスト者は、イエスが公生活の初めに荒れ野でサタン(悪魔)から試された経験に倣わねばならない。神であっても人でもあったイエスにも、偶発的情報は現れた。そのとき、神の置いた敵意に常に目覚めていたイエスは、この情報をはっきり他者として区別し、神の言葉によってその頭を砕いた。そして、これをサタンと呼んで退けた。
Maria K. M.