イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2023/06/12


95. 白い馬

イエス・キリストの世界観には、常に神の国が現実のものとして存在している。そこで、ヨハネの黙示の訓練者が、その預言を著者ヨハネと共有するために、7つの「幸い」が訓練者に同伴する。第1の「幸い」(黙示録1:3)は、次のようなテーマに関する預言を認識するために、訓練者に同伴した。7つの教会の問題、新約聖書成立、司祭職、聖体の誕生、竜や蛇、悪魔やサタンとその使いたち、獣たち、偽預言者、悪霊。第2の「幸い」(黙示録14:13)は、その額に小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた初めの教会共同体に関する預言を共有するために、訓練者に同伴した。第3の「幸い」(黙示録16:15)は、その後、教会が、初めの共同体の歩む道からそれて、獣と交わり、大淫婦となるとの預言を共有するために、訓練者に同伴している。 

上記を念頭に、このブログで何回か取り上げた19章の第4の「幸い」(黙示録19:9)を、黙示録の視点から考察していく。それは、「書き記せ。小羊の婚礼の祝宴に招かれている者は幸いだ」(黙示録19:9)という「幸い」である。ここで、「これらは、神の真実の言葉である」とも書かれているが、これまでの「幸い」がそうであったように、この言葉が第4の「幸い」を補って、訓練者に同伴することを、続く描写が証ししている。 

「私は天が開かれているのを見た。すると、白い馬が現れた。それに乗っている方は、『忠実』および『真実』と呼ばれ、正義をもって裁き、また戦われる。その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠を戴き、この方には、自分のほかは誰も知らない名が記されていた。この方は血染めの衣を身にまとい、その名は『神の言葉』と呼ばれた」(黙示録19:11~13)。 

この描写は、マタイ福音書を示す次の文を引き出す(本ブログ№13参照)。「白い馬が現れ、それに乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上になお勝利を得ようとして出て行った」(黙示録6:2)。また、「血染めの衣を身にまとい」は、イエスの受難の場面でマタイ福音書だけが記載した「深紅の外套を着せ」(マタイ27:28)と符合し、同じくマタイ福音書を示唆している。 

そこで、マタイ福音書の中で、「幸い」と関わり、「忠実」および「真実」の意で呼ばれ、「小羊」である方を指す箇所を探すと、ペトロがイエスを「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)と言った箇所に至る。「あなた」は「小羊」を、「メシア」は「忠実」を、「生ける神の子」は「真実」を意味している。さらに、ペトロのこの言葉に、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、天におられる私の父である」(マタイ16:17)とペトロの言葉を「幸い」と呼んで応えたイエスの言葉は、この言葉が、「神の真実の言葉である」ことを証ししている。 

これらのことから、第4の「幸い」は、次のように言い換えることができる。「書き記せ。小羊の婚礼の祝宴に招かれている者は幸いだ。あなたはメシア、生ける神の子です。」

Maria K. M.

【お知らせ】№93の「『都』は聖霊の養成を、『門』はミサを」との記述は、「『都』はミサを、『門』は聖霊の養成を」の誤りです。訂正いたしました。

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