イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2023/10/30

115. 使徒の継承者 その10

前回、黙示録の「また私は、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた」(黙示録20:4)という描写を、マタイ福音書によって考察した。同様のテーマで、今回は、ルカ福音書の「私の父が私に王権を委ねてくださったように、私もあなたがたにそれを委ねる。こうして、あなたがたは、私の国で食卓に着いて食事を共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を裁くことになる」(ルカ22:29~30)によって考察する。 

ルカ福音書は、この場面を最期の食事の席で、聖体制定の後に置いている。それによって、この場面で「私もあなたがたにそれを委ねる」と言った「王権」が、聖体制定の場面でイエスが、「私の記念としてこのように行いなさい」(ルカ22:19)と命じたこと、すなわち聖体祭儀を執行する権能を指していたことがわかる。そこで、「王座に座ってイスラエルの十二部族を裁く」とは、使徒とその継承者たちが、この新しい祭儀を旧い契約の祭儀から完全に区別したものにすることを意味している。「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れねばならない」(ルカ5:38)からである。 

イエスがもたらした神の国を現在化するこの権能は、特に聖体祭儀において、それに与る信者たちにすぐさま伝播し、彼ら会衆を巻き込んで、イエスの最期の食卓を再現するものである。会衆である信者たちは、祭儀を司らずとも、使徒とその継承者たちに委ねられたこの権能に、共通祭司職として参与するキリスト者だからだ。そこでイエスは、使徒とその継承者に向かって、「あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」(ルカ22:26)と命じている。 

このように、イエスが聖体を制定した場を現在化するミサ典礼は、完全でなければならない(マタイ5:48参照)。不完全であれば、そこに与る者たちの中には、かえってひどい「災い」が及ぶこともあるからだ。黙示録1718章は、まさにこの不完全のために、教会全体がその災いを被るという預言である。 

聖霊は、ご自身と協働する者に、人の偶発的情報を区別することを求める。完成されたミサ典礼に与ることよって、信者は無意識のうちに聖霊に向かって大いに形作られていく。さらに、ヨハネの黙示の訓練を日常的に行うことが、ミサ典礼、すなわち聖霊の養成に向けて信者たちを準備する。彼らは知らずに、イエス・キリストの世界観が記憶に刷り込まれていくからだ。 

ミサ典礼の完成には、これまで何度も繰り返している次の点が完全な形で実現されることが必須要件である。キリストの贖いは完全なかたちで継承されなくてはならないのである。すなわち、新しい契約の祭儀を執り行う者は、常に男性であること、信者は、ご聖体が神の子メシアであることを公に告白すること、そして、司祭が配るご聖体を、自身の手で受け取り、「取って食べる」こと、この3点である(本ブログ№113参照)。

つづく

Maria K. M.


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