イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2023/12/18


122. どうして私を捜したのか

星に導かれた東方の博士たちと、天使に導かれた羊飼いたちは、ベツレヘムで、飼い葉桶に寝かされた乳飲み子イエスを捜しあてた。一方、イエスの両親も、過越祭にエルサレムへ旅をした帰路に、ともにいた12歳のイエスを見失い、神殿の境内にイエスを捜しあてた(ルカ2:41~51参照)。このとき、イエスは、両親に、「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」(ルカ2:49)と答えた。イエスは、ご自身が神殿にいることに特別な意味を込めていたのだ。 

成人し、公生活に入ったイエスは、過越祭にエルサレムに上って行ったとき、神殿の境内で商売をする者たちを見て、「私の父の家を商売の家としてはならない」(ヨハネ2:16)と言って追い払った。これに対抗する人々がしるしを求めたとき、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(ヨハネ2:19)と応じた。このイエスの言葉について、ヨハネ福音書は「イエスはご自分の体である神殿のことを言われたのである」(ヨハネ2:21)と解説している。 

ここから、「父の家」は「神殿」であり、神殿はイエスの体、すなわち、ご聖体である。聖体制定の場面では、イエスご自身が「取って食べなさい。これは私の体である」(マタイ26:26)と言っている。さらに、黙示録は「私は、この都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが神殿だからである」(黙示録21:22)と描写した。 

今、信者たちはイエスを捜さない。イエスはミサ典礼の中で誕生するご聖体におられる。最後の食卓で「主よ、どこへ行かれるのですか。」と問う使徒ペトロに、「私の行く所に、あなたは今付いて来ることはできないが、後で付いて来ることになる」(ヨハネ13:36)と答えたイエスの言葉は、今、ご聖体を拝領する信者たちに向けられている。信者たちは、ご聖体を取って食べることによって、イエスの「後で付いて来る」を実証することになる。だから、すべての信者は、ミサの中でご聖体を見て、まず、「あなたは、神の子、キリストです」と宣言しなければならない。信者たちは、主の誕生を目の前に見て、同時に、主の死を体験した者になるからである。

Maria K. M.


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