イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2023/10/16


113. 使徒の継承者 その8

「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してそれを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これは私の体である。』また、杯を取り、感謝を献げて彼らに与え、言われた。『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流される、私の契約の血である』」(マタイ26:26~28)。 

これは、マタイ福音書の最後の晩餐における聖体制定の場面である。ミサ典礼の中心的部分は、この場面に由来する。イエスは、人の罪を、ご自身の受難と死によって贖った。それだけではなく、創世記の初めに書かれた人の過ちを、御言葉によって贖った。信者たちは、ミサ典礼に参加する中で、イエスのこの御言葉による贖いの業を継承し、それを証しするようになる。イエスが弟子たちに命じたように、聖霊がイエスについて証しするとき、新約聖書を知る信者たちも証しすることになるからである(ヨハネ15:26~27参照)。 

創世記の二人が神の命令に背いて、善悪の知識の木から「取って食べた」と記された言葉を、イエスは「取って食べなさい。これは私の体である」と命じた言葉で贖った。信者は、イエスの言葉に従い、司祭が配るご聖体を、自身の手で受け取り、「取って食べる」ことでイエスの贖いの業を自発的に継承し、証しする。 

また、創世記の「女」が、「蛇」とのやり取りの中で、「決して死ぬことはない」という「蛇」の言葉に騙され、神の言葉に背いたことは、ベタニアのマルタが、イエスとのやり取りの中で、「生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか」(ヨハネ11:25)というイエスの問いに、イエスに導かれ、「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じています」(ヨハネ11: 27)と答えたことによって贖われた。信者は、「私は、天から降って来た生けるパンである」(ヨハネ6:51)と言ったイエスの言葉に信頼して、ペトロの告白と同じこのマルタの告白をご聖体の前ですることによって、イエスのこの贖いの業を自発的に継承し、証しする。 

そして、神であるイエスは、男性として生まれることによって、「額に汗して糧を得る」という創世記の「男」の贖いの業を、最期の食卓で完成した。そして、その時を、常に現在化することを使徒たちに命じられた。聖霊と協働して聖体を生み出す業を彼らに託したのである。この新しい職務を、信者の男性が自発的に継承し、その責務を全うすることで、イエスのこの贖いの業を証しするのである(本ブログ№110参照)。 

これらの要件が満たされることによって、ミサ典礼が整備され、さらに浄化されると、「底なしの淵の鍵」を手にして天から下って来た天使が働きだす(黙示録20:1~3参照)。それは、この場で人の偶発的情報の発生が封じられるようになるということである。 

つづく

Maria K. M.


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