イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2023/10/09


112. 使徒の継承者 その7

「イエス・キリストの名」(使徒言行録2:38)という言葉が、ペトロの口を通して初めて世に出たのは、聖霊が降臨した後、ペトロが、信者でない者たちへ最初の説教をした使徒言行録の場面である。この後、使徒たちは、この名によって宣教を拡大していく。それは、「父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(ヨハネ14:26)とイエスが言ったとおりだ。 

ペトロが、イエスを前にして、「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)と答えたとき、イエスは、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、天におられる私の父である」(マタイ16:17)と言って、この答えが神の言葉、すなわち絶対的な言葉であることを証しした。使徒たちの記憶には、この場面が刻みこまれたに違いない。 

使徒たちはイエスを個人的に知っていた。ゆえに、イエスを直接知らない次世代の信者たちが、聖書を通してイエスが話したことを、聖霊によってことごとく思い起こし、福音宣教につなげていくためには、ご聖体によってイエスを個人的に知ることが、必須要件である。そして、ご聖体を拝領する体験がイエスを個人的に知ることになるためには、信者自身が、ミサ典礼でご聖体を前にして、「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白することが絶対的な基盤となる。この基盤が「私はこの岩の上に私の教会を建てよう」(マタイ16:18)とイエスが言った「この岩」になる。 

このようにして、信者が、天の父が現した言葉を、ペトロがしたように、自身の声でご聖体に向かって告白し、司祭によって配られたご聖体を、イエスが命じたように、自身の手で「取って」、「食べる」ことで(本ブログ№108参照)、イエス・キリストの名が、しだいに信者一人ひとりの記憶に置き固められ、「隅の親石」となる。イエス・キリストの名による権威と救いの業を受け継ぐ使徒の継承者となっていくのである。イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。/『家を建てる者の捨てた石/これが隅の親石となった。/これは主がなさったことで/私たちの目には不思議なこと。』」(マタイ21:42)。 

しかし、私たち教会は、未だこれらを完全に成し遂げてはいない。続けて言われたイエスの次の言葉が身に沁みる。「だから、言っておくが、神の国はあなたがたから取り上げられ、御国にふさわしい実を結ぶ民に与えられる。この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石が落ちて来た者は、押し潰される」(マタイ21:43~44)。 

つづく

Maria K. M.


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