イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2022/06/20


44. 神の知識と人の知識

「情報」という言葉のなかった時代、人々は、生き物が複数になったとき発生する偶発的情報を、擬人化することで捉えようとした。「人の偶発的情報」は、創世記では「蛇」にたとえられていたが、すぐに、悪魔やサタンといったように人格化されるようになった。しかし聖霊は、ヨハネに働きかけ、これを巨大な竜と表現し、「いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者」(黙示録12:9)と書いた。当時この何とも言葉にできなかった「情報」の存在を伝え、これを区別させたのである。竜は、創世記で「蛇」と呼ばれた「人の偶発的情報」が人々と共に進化した姿であり、純粋に「情報」である。この「情報」である竜と、黙示録13章の初めに登場する海から上がって来る一頭の獣との対比は、「情報」を取り込んで「人の知識」にした人々の姿をよく表現している。竜は、「七つの頭と十本の角を持ち、頭には七つの王冠をかぶっていた」(黙示録12:3)と書かれている。「頭」にたとえられた「情報」とこれを誇る王冠が同数で整合性を持っていることからも、竜は純粋に「情報」なのだ。角の数は、人が「情報」を「人の知識」にしたことを示唆している。一方、海からの獣は、「十本の角と七つの頭があり、角には十の王冠、頭には神を冒瀆する名があった」(黙示録13:1)と書かれている。竜とは異なり、頭と角の順位が逆になり、王冠を頭にではなく角にかぶせている。これは、個々人が、自分の持った「情報」よりも、これを知識にして成した行為や言葉を誇るからだ。黙示録は、竜が「いにしえの蛇」であると言うことによって、これらのことが創世記第3章の記述を念頭に書かれたことを示唆している。創世記3章には、人と妻が「人の偶発的情報」を取り込んだ箇所が7か所ある。そこで黙示録は、「情報」である竜に、7つの王冠を7つの頭にかぶせた。この7つの個所には、「情報」を「人の知識」にし、2人が行為と言葉にしたケースが10回ある。そこで、黙示録の獣は10本の角に10個の王冠を乗せている。10本の角の内訳は、2人が共にした行為が3回(創世記3:6~8参照)で、角は2人分で計6本。次に、人の弁明が2回(創世記3:10,12参照)、妻の弁明が1回(創世記3:13参照)、最後に人が単独でした行為が1回(創世記3:20参照)で、計10本になる。人が最後にした、妻に名をつけるという行為は、神を冒涜する行為であったことから「神を冒瀆する名」は、エバに由来する名である。人々は、さらに、「力と王座と大きな権威」(黙示録13:2)を与える情報を取り込み、「人の知識」にして進化していく。一方、神は、すでに「神の知識」をもって、目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、ご自分を愛する者たちのために実現していた(1コリント2:9参照)。

Maria K. M.


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