2026/03/09
238. ヨハネ福音書と新約の司祭職 飛翔
聖霊降臨後、新たにマティアが加わった12人は、「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人」(使6:3)選び、按手によって公式の役務につけた。この出来事は重大な決定であった。やがて、教会に対して大迫害が起こり、その運命の中心にパウロの人生を巻き込むことになる。回心とともに始まったパウロの働きは、使徒職と、降臨した聖霊によって授けられる預言の賜物が(ヨハ16:13参照)、信者が聖霊と共に働くための土台であることを教えてくれる。使徒言行録では、パウロもバルナバも使徒とされており(使14:14参照)、またパウロは、相応しい弟子たちを使徒と呼んだ(ロマ16:7、ガラ1:19、一テサ2:7参照)。
パウロは、特にペトロから、そしてヤコブ、ヨハネ、バルナバからも、イエスについての多くの体験を聞き取った。そこから彼は、イエスがまず12人を選び、「使徒」と呼んで養成し、彼らにすべてを伝えた後に(ヨハ15:15参照)、聖体制定と共に彼らに新約の司祭職を授け(ルカ22:14~20参照)、王権を委ねた真意を悟ったに違いない(22:28~30参照)。その王権は、天使がイエスの母に「神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる」(1:32)と告げた、ダビデの王座にもとづくものであった。ダビデは、初め羊飼いだった。イエスは、「私は良い羊飼いである」(ヨハ10:11)と言われ、その羊飼いがどのように働くかをファリサイ派の人々の前で説かれた(10:1~18参照)。弟子たちが体験したこの出来事は、イエスが復活された後、次のような出来事につながった。
ヨハネ福音書に、復活されたイエスは「シモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『私の小羊を飼いなさい』と言われた」(ヨハ21:15)とある。イエスはこの時、「この人たち以上に」と言うことで、ペトロに弟子たちの頭となる意志を確認したのだ。その後、続けて2回、「ヨハネの子シモン、私を愛しているか」と問い、「私の羊の世話をしなさい」(21:16)、「私の羊を飼いなさい」(21:17)と命じた。「私は良い羊飼いである」と言われたイエスは、いわばその杖を、ペトロに委ねたのだ。これら3つの命令は、その権威が「羊の囲い」(10:1)の中、すなわち教会の内側にあることを示している。それは新約の司祭職に関わることなのである。
続けてイエスはペトロに、彼がどのような死に方で神の栄光を現すことになるかを示そうとして、次のように言われた。「よくよく言っておく。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる」(ヨハ21:18)。パウロは、これらの体験を「柱と目されるおもだった人たち」(ガラ2:9)の一人、ヨハネから聞き取り、また、イエスがエルサレムの崩壊について語ったこともよく聞いていたに違いない。キリスト者のために新しい都を準備しなければならない。そして、「良い羊飼い」の杖を守り、イエスの養成を継承するのである。それはペトロの手に、彼の記憶の中にあった。
使徒言行録には、パウロがエフェソで、「マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『私はそこに行った後、ローマも見なくてはならない』と言った」(使19:21)とある。パウロは、ローマをキリスト者の新しい都とすることを神が望んでいると直感していた。聖霊はパウロの決心と共にいた。「主はパウロのそばに立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。』」(23:11)。神のみ手は彼をローマに運んだ。
パウロは、「ローマでも証しをしなければならない」と言われた主の言葉を悟っていた。自分の使命が、「良い羊飼い」の杖を委ねられたペトロを、ローマの共同体に迎えることにあると知っていたのである。彼はペトロをローマに呼び寄せる手はずを整えていた。機が熟したことを悟ったパウロは、テモテに手紙を書いた。「ぜひ、急いで私のところに来てください・・ルカだけが私のところにいます。マルコを連れて、一緒に来てください。彼は、私の務めのために役に立つからです・・あなたが来るときには、トロアスのカルポのところに私が置いてきた外套を持って来てください。また書物、とりわけ羊皮紙のものを持って来てください」(二テモ4:9~13)。
「幼い日から聖書に親しんできた」(二テモ3:15)テモテは良く分かっていた。「外套」は、エリヤがエリシャに投げたもの、すなわち「継承」を意味する。「書物、とりわけ羊皮紙のもの」とはペトロの記憶にある「良い羊飼い」の杖とイエスの養成、すなわち司教職である。ペトロをローマに迎える時宜が来たのだ。テモテはペトロと共にマルコを伴っていく。パウロのところにはルカがいる。すべてがそろった。パウロが、「今や、義の冠が私を待っているばかりです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるでしょう。私だけでなく、主が現れるのを心から待ち望むすべての人に授けてくださるでしょう」(二テモ4:8)と書いた通り、ローマの共同体にペトロを迎えること、それが闘いを立派に闘い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通したパウロの義の冠なのである。
Maria K. M.







