2022/05/09
38. 聖霊の養成 その2
「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもとどまって永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父なる神が、人の子を認証されたからである」(ヨハネ6:27)。ヨハネ6章のイエスのこの言葉から始まる群衆とのやり取りの場面には(ヨハネ6:28~59)、聖霊の養成と第3の受肉の神秘への手がかりが置かれている。イエスが、以前、「私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」(ヨハネ4:34)と言っていることから、「人の子があなたがたに与える食べ物」は、このイエスの食べ物と同義であり、イエスがそれを特別な仕方で人に分け与えることだと考えられる。このことは、イエスが天から来た道を天に帰ることで実現する聖霊の養成によって起こる。聖霊のためにイエスが養成した使徒たちがそのモデルである。このように、イエスが養成した使徒たちと、後に聖霊から養成される信徒たちを、天の父がイエスのように「人の子」として認証(証印)したのだ。聖霊と協働する第3の受肉の神秘へ向かうためだ(本ブログ№32参照)。そこでイエスは、「父から聞いて学んだ者は皆、私のもとに来る」(ヨハネ6:45)と教えた。やがて信徒たちは、父からイエスの名によって派遣される聖霊のもとに来るようになるからだ。父から聞いて学ぶということは、「あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」(マタイ6:6)というみ言葉が説明する。信徒たちは、聖霊の養成を受けるためにご聖体を訪問する。信徒たちがご聖体の前に来ると、ミサの中でご聖体を食べた記憶が現在に同期され、聖霊の養成に与ることが容易になる。「私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私の内にとどまり、私もまたその人の内にとどまる」(ヨハネ6:56)というみ言葉が実現されているからだ。そこでご聖体に集中すれば、ご聖体とつながることになる。まさに「奥の部屋に入って戸を閉め」たのだ。信徒は、ご聖体を拝領した時、食べたことに集中しても、それ以外何も感じることがない。この何も感じない体験が、ご聖体に集中するとき伴っていることが、ご聖体に現存する神とつながったことの保証になる。このとき信徒は、ご聖体に現存する神とつながり、聖霊の養成が始まって、自身の意識の領域が無情報の状態になっている。だから、無情報の状態にとどまることを恐れてはならない。この体験によって、信徒たちは、「生ける父が私をお遣わしになり、私が父によって生きるように、私を食べる者も私によって生きる」(ヨハネ6:57)と言うイエスの言葉が、自身において実現するのを見ることになる。「隠れたことを見ておられる父」が報いてくださるのだ。
Maria K. M.