イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2024/11/04


168. 違和感

ローマ帝国に根付いたキリスト教は、西ローマ帝国の滅亡からローマを守った。そうしながら、およそ800年かけて準備された歴史の中に、聖フランシスコは登場した。彼の人生は、さらに800年後の私たちのために、今もシグナルを発している。 

イエスは、最期の食卓で使徒たちに、女が子供を産むときのたとえを語り、一人の人間が世に生まれ出た喜びに言及した。続けて、「わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない」(ヨハネ16:22)と言って、ご自身の復活と同時に、ご聖体の誕生を予告した。そして、「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる」(16:23~24)と保証した。教会はこの世で最高のものを願って、「主イエス・キリストの御からだと御血になりますように」と祈り、イエスのこの言葉に応えてきた。 

ヨハネ福音書において、マリアは、司祭職そのものになるために、イエスから「母」と呼ばれることはなかった(ヨハネ2:419:26参照)。そして、十字架上のイエスの言葉によって「イエスの母」と親子の絆で結ばれた使徒は、司祭職と結ばれたのである。「そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」(19:27)とある。そこには、クロパの妻マリアとマグダラのマリアもいた。サン・ダミアーノの十字架像はまさにこの場面を描いた。ここから、聖フランシスコが何かを悟ったのである。助祭職を受けた彼は、自身を「聖職者」と呼んでいることからもわかるように(注)、司祭職に向かう路線の上に立った。しかし、彼が司祭になることはなかった。

(注)『アシジの聖フランシスコの小品集』(庄司篤訳、1988年、聖母の騎士社)P. 289参照 

フランシスコは、教会への愛のために助祭に叙階されたことによって、違和感を抱え、それはやがて矛盾となって苦しんだのではないか。彼がこの矛盾を背負って生きる姿に、「イエスの召命」の存在が見える。彼の弟子たちの多くが離れ去り、もはや彼と共に歩まなくなったことがそれを物語っている(ヨハネ6:66参照)。それは、同時に、「『あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした』と言われたイエスの言葉が実現するためであった」(18:9)とある、受難に臨むキリストの姿でもあった。御父のみ手は、イエス・キリストと完全につながるぶどうの枝を、「いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる」(15:2)。そのみ手がフランシスコに臨み、彼は、そのみ手に自身を委ね、徹底的に清貧を生きて応え続けた。 

私見であるが、フランシスコに臨んだ御父のみ手は、彼が教会への愛のために受け取った助祭叙階の秘跡を無効にし、彼に初めから授けていた「イエスの召命」を戻してくださるための愛であったと思えてならない。彼は、やはり、サン・ダミアーノの十字架像の前で、「イエスの召命」を受け取っていたのだ。 

つづく 

Maria K. M.


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