イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2024/10/14


165. 時差

第二バチカン公会議の典礼改革によって、ミサ典礼は、司祭と信徒が祭壇を囲む様式へ移行した。これは、イエスが、「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない」(ルカ5:38)と言った「新しい革袋」への大きな一歩であった。イエスは、「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである」(ヨハネ6:40)と言い、「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(17:3)と祈った。御父がイエスに託した救いの計画の中心はここにある。そこで、上記の一歩を確実に前に進めるために、神の救いの計画について、洗礼者ヨハネの生涯を追いながら考察したい。 

洗礼者ヨハネは、「彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」(ルカ1:17)という天使のお告げと、父ザカリアの、「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである」(1:76~77)という預言、そして、「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」(3:4~6)という神の言葉を授かっていた。彼が、エリヤの霊と力で主に先立って行き、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるのは、人が皆、神の救いを仰ぎ見るためであった。 

福音書は、「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ3:2)という洗礼者ヨハネの声を聞いて、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けたこと、ファリサイ派やサドカイ派の人々も大勢、洗礼を受けに来て彼の教えを聞いたこと(3:3~10参照)、徴税人や兵士たちにも様々な勧めをして民衆に福音を告げ知らせたことを記載した(ルカ3:7~18参照)。 

また、ヨハネはイエスに洗礼を授け、「“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」(ヨハネ1:32)。そして、自分の弟子たちを意図してイエスに向かわせていた。「その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、『見よ、神の小羊だ』と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った」(1:35~37)とある。ヨハネは、イエスが「世の罪を取り除く神の小羊」(1:29)であり、「私よりも先におられた」(1:30)方、「聖霊によって洗礼(バプテスマ)を授ける人」(ヨハネ1:33)、「この方こそ神の子である」(1:34)と預言した。 

さらに彼は、イエスが遣わされた真の目的が、旧い契約を終わらせ、新しい契約(花嫁)を成し遂げることだと悟り、次のように言った。「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3:29~30)。イエスが、「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである」(マタイ11:13~14)と言ったように、「わたしは衰えねばならない」と言う彼の言葉には、旧い契約の預言の終焉を背負った洗礼者ヨハネの覚悟があった。彼は、エリヤのように神への不義に挑戦し、殺された。 

イエスは、弟子たちに、「確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。それなら、人の子は苦しみを重ね、辱めを受けると聖書に書いてあるのはなぜか」(マルコ9:12)と問うた。この問いは、その答えを唯一知るイエスご自身が「自分の民を罪から救う」(マタイ1:21)ための、苦難と死への挑戦の言葉であった。子を見て信じる者が皆永遠の命を得て、イエスがその人を終わりの日に復活させるために、彼は「自分の民」、すなわちキリスト者の未来を、崩壊するエルサレムから救い出し、新しい都に移す計画を担っていたのだ。それは親がその子を自分の命と引き換えに救うような挑戦であった。神の子イエスは、完全な人として、ローマ帝国の刑罰である十字架刑を受けることで、ローマ帝国の額にその名を刻印したのである。 

ピラトは、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」(マタイ27:24)と言った。しかし、イエスの思いはすでにローマ帝国を捉えていた。使徒パウロは、「勇気を出せ」(使徒言行録23:11)というイエスのはげましの言葉によって、この壮大な神の計画を背負って、ローマの地を踏んだ。 

一方、ピラトの言葉に、民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある」(マタイ27:25)。「その血」とは、イエスが、「これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(26:28)と言った血である。神は、ご自身が選び育んだ旧約の民が、キリスト者と共に、この新しい「契約の血」の責任を担い合う日を待っている。ゆえにヨハネの黙示録には次の言葉がある。 

「都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった」(黙示録21:12~14)。 

つづく 

Maria K. M.

 


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