イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2024/10/21


166. 神の似姿

サン・ダミアーノの十字架の中央のイエスはご聖体を表している。その右側には、司祭職(イエスの母)と、それと分かたれない絆(親子の絆)で結ばれた司祭(愛する弟子)がいる。ご聖体を挟んで左側には、既婚の信徒(クロパの妻マリア)と、独身の信徒(マグダラのマリア)がいて、彼らの左には、キリスト教を受け入れ、真摯な眼差しをご聖体に向けるローマ帝国(百人隊長)が置かれている。これは、おもにヨハネ福音書の場面を題材にしている。十字架像全体は、幸いと平和に満ちている。 

百人隊長を除く4人は皆、キリストの名を自分の十字架として背負っているキリスト者である。彼らは、イエスの名によって遣わされた聖霊と協働して、イエス・キリストをこの世に再び現す使命を帯びている。サン・ダミアーノの十字架には、この使命が、教会を構成する司祭と信徒という二つの立場として、イエス(ご聖体)を中心に左右に配置されている。「神の国」を世に現す教会の使命は、これら二つの立場を一つに包み、覆う、聖霊の力を見えるようにすることにある。それは、ミサ典礼の中で、祭壇とご聖体を囲んで立つ司式者と会衆として具現化する。さらに、これら二つの立場は、三つの召命によって構成されている。 

イエスは、およそ30歳で宣教を始め、受難を通って、十字架上で母を使徒に与え、ご自身の死によって聖家族を一時的に解消した。そして、わき腹から流れ出た血と水によって、聖家族の構成を持つ教会を新たに生み出した。 

イエスの十字架のそばにいた人々は、「愛する弟子」を除いて女性ばかりであった。しかし、彼女たちの名の後ろには、既婚の男性の信徒と独身の男性の信徒が隠れているのである。当時、女性たちは社会的にあまり目立たず、ローマ兵やユダヤ宗教指導者たちの監視が厳しくなかったため、十字架のそばにいることが比較的安全だったと考えられる。イエスの復活後も、番兵がいたにもかかわらず、「マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った」(マタイ28:1)と書かれている。 

マリアは、天使が、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」(ルカ1:35)と告げた言葉を承諾し、イエスの母となった。イエスは昇天を前に使徒たちに、「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(24:49)と命じた。彼らは、イエスの言葉を承諾し、イエスの祝福を受けた。このように、司祭は、聖霊によって高い所からの力に覆われることによって、聖霊と協働して「キリストの体」の母となることができる。これこそが司祭職であり、ゆえに司祭は、男性でありながらマリアの召命を持っているのである。「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ1:23)とあるマタイ福音書の証しが、イエス昇天後も実現し続けるためには、聖霊と協働するマリアの召命が必要である。この召命は「聖霊」のポストに対応する。 

イエスは、生涯独身を生きることによって、「御父」に対して「子」であり続けた。その証人となる信徒は、イエスに倣って生涯独身で生きることができる。イエスが、「これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」(マタイ19:12)と勧めたように、天の国のために独身を生きるその人には、自分がイエスの証人であることが分かるのである。彼らは、「神の国」のありかを告げる「恵まれた者」(19:11)なのだ。イエスが、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(ルカ18:16)と言ったように、神の国は「子供たち」のものである。彼らはまさしく独身者であり、「神の国」は、彼らと共にある。このように独身の男女の信徒は、イエスの召命を持っている。この召命は「子」のポストに対応する。 

ヨセフは、主の天使が夢に現れて言った言葉を承諾し、妻マリアと胎内の子イエスを迎え入れた。その言葉は次のとおりである。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(マタイ1:20~21)。彼がマリアとイエスを迎え入れた時、彼は、彼自身の召命を受け取った。そして、聖家族が世に現れたのである。ヨセフは、既婚の男女の信徒を表している。彼らは、教会の召命を持つ者、すなわちマリアとイエスの召命を持つ者たちを恐れずに迎え入れ、教会に聖家族を現わすヨセフの召命を持っている。この召命は「御父」のポストに対応する。 

このように、聖家族の構成を持った教会は、その自覚によって、三位一体の神を反映することができる。イエスは、御父に次のように切に祈った。 

「あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります」(ヨハネ17:22~23)。 

つづく 

Maria K. M.



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