2025/05/26
197. 新約聖書の成立を順に預言したヨハネの黙示録の証し(四つの福音書)
黙示録で小羊が7つの封印のうち最初の四つを開いたとき、「四つの生き物」が次々と「出て来い」と呼びかけた。そして、それぞれの呼びかけに応えて、4頭の馬とその騎手が現れる。これらの馬と騎手の描写は、それぞれ次に記載するように、四つの福音書に書かれた復活したイエスの最後の命令に符合する。このことから、著者は以下のとおり特定できる。
第1の生き物(マタイ福音書) 「また、わたしが見ていると、小羊が七つの封印の一つを開いた。すると、四つの生き物の一つが、雷のような声で『出て来い』と言うのを、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った」(黙6:1~2)という描写には、マタイ福音書の復活したイエスの最後の命令「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタ28:18~20)という言葉が符合する。「弓」は、「天と地の一切の権能を授かっている」ことと、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」ということの保証であり、「冠」は勝利のしるしである。「更に勝利を得ようと出て行った」のは、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」という命令に従ったのである。
第2の生き物(マルコ福音書) 「小羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が『出て来い』と言うのを、わたしは聞いた。すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた」(黙6:3~4)という描写には、マルコ福音書の復活したイエスの最後の命令「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らは私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る」(マコ16:15~18)という言葉が符合する。「平和を奪い取って、殺し合いをさせる力」は、「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」という言葉が人を分けるとき働く。また、「大きな剣」は、「彼らは私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る」という権能の事である。
第3の生き物(ルカ福音書) 「小羊が第三の封印を開いたとき、第三の生き物が『出て来い』と言うのを、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた。わたしは、四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。『小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな。』」(黙6:5~6)という第3の封印が解かれたときの描写には、ルカ福音書の復活したイエスの最後の命令「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:46~49)という言葉が符合する。「小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン」とは、「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである」(ルカ6:38)というイエスの言葉がテーマになっている。黒い馬の騎手が手に秤を持っているのは「あなたがたは自分の量る秤で量り返される」とあるからだ。また、オリーブ油は病気の人のために(ヤコ5:14参照)、ぶどう酒は聖体祭儀のために損なってはならなかった。これらのことは、キリストの受難と死と復活よって、「罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」ことによって実現する。そしてイエスが、「都にとどまっていなさい」と言ったのは、これらのことを実現させる聖霊が降臨するのを待つためであった。
第4の生き物(ヨハネ福音書) 「小羊が第四の封印を開いたとき、『出て来い』と言う第四の生き物の声を、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は『死』といい、これに陰府が従っていた。彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた」(黙示録6:7~8)という描写には、ヨハネ福音書の復活したイエスの最後の命令「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハ21:22)という言葉が符合する。この言葉は、イエスがペトロに、彼がどのような死に方で神の栄光を現すことになるかを示し(ヨハ21:19参照)、ご自分の「死」に従うように命じた後、ペトロが、イエスの愛しておられた弟子を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」(21:21)と尋ねたときの答えである。イエスの愛しておられた弟子は、イエスの昇天後ペトロと共に宣教するが、やがて二人は別の道をたどる。福音書と黙示録に関わることになるこの弟子は、イエスの死に従うことができない。そこでイエスは、ペトロに再び「わたしに従いなさい」と言って、ご自分の死に従うよう命じたのである。「乗っている者の名は『死』といい、これに陰府が従っていた」とあるのは、「キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました」(一ペト3:18~19)というペトロの手紙が反映されている。ヨハネはペトロと共にいて、彼のこの考えを聞いていたに違いない。
Maria K. M.