2023/03/06
姫路城(日本) |
81. 日本化 その2
「日本化(Japanisation)」という言葉は、今から10年ほど前に、欧米の経済が日本経済の低迷と同じような道をたどるのではないかという危惧に対して用いられた。政治が指導力を発揮せず、物事を先送りすることを表現したのだ。前回、第二バチカン公会議で、近代主義を受容できず、時代を制御できないという危機感から意識的に伝統的な婚姻神秘主義に飛び乗ったのだろうか、と書いたが、本ブログ№77で紹介したファーガス・カー著「二十世紀のカトリック神学」を読むと、むしろ当時の近代的結婚観を共有・受容していたように見える。
日本の著名な社会学者であり、政府の少子化対策に関わっている山田昌弘氏の著書によると、西ヨーロッパやアメリカにおいて、個人主義化が進んだ近代社会は、前近代とは異なり結婚が不可欠な社会であった。そして、結婚は経済的な合理性と相互の愛情に基づくものであった。しかしながら1970年代になると、経済の構造変化によって格差社会が生まれ、一方で離婚の自由化や性革命が進んだ。これらは結婚の二つの要素に大きな影響を与え、結婚することの合理性、必然性を徐々に減殺させ、結果的に「結婚不要社会」へ移行していったという。事実、OECD報告によると、婚外子割合は、欧米でこの時期に急速に上昇し、1970年ではほぼ一桁であったものが、2020年では多くの国で40%を超えている。結婚観のこのような変化は、少子化から立ち直ろうとしているこれらの地域を支える要因の一つになっている。これは、現代社会が、男女の関係よりも親子の関係に注目し始めたことの現れと見ることもできる。
ファーガス・カー氏によると、教会では、1948年にオリゲネスの復権というものが始められたようだ。さらに、彼は、「アンリ・ド・リュバックは、すでに信仰者とキリストの関係を祝婚歌的関係によって表現する、高度に神学的な課程を再び導入しつつあった。そして、これは、後にハンス・フォン・バルタザールと教皇ヨハネ・パウロ二世の著作の中で開花することになる」と書いている。そこで教会はキリストと教会の関係を結婚のアナロジーで表現することによって、東西冷戦時代の国際政治において重要な役割を演じることができたように、社会の価値観をリードできると思ったのではないか。
第二バチカン公会議は、教会憲章で「キリストは、教会を自分の花嫁として愛し、妻を自分のからだとして愛する夫の模範となった」(教会憲章第7節)とうたった。そして、これを司祭教育に盛り込んだ。しかしイエスは、神と教会は親子の関係であり、キリストにとって教会は兄弟姉妹、また母であることを、はっきりと伝えた。そして、天の父の名が弟子たちを守ることを、最期の食卓で熱烈に祈り求めた(ヨハネ17:5~26参照)。このように教会のかかとが砕かれることを知っていたからだ(創世記3:15参照)。
Maria K. M.
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