イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2023/07/10


99.  「神の大宴会」

「また私は、一人の天使が太陽の中に立っているのを見た」(黙示録19:17)と書かれている。「太陽の中に立っている」という描写が、福音書の「イエスを十字架につけたのは、午前九時であった」(マルコ15:25)と言う記述と合致することから、黙示録の場面は、ここからイエスが十字架に付けられた時点に移ったと言える。 

続けて、「この天使は大声で叫び、空高く飛んでいるすべての鳥にこう言った。『さあ、神の大宴会に集まれ。王の肉、将校の肉、権力者たちの肉を食らえ。また、馬とそれに乗る者の肉、あらゆる自由人、奴隷、小さな者や大きな者たちの肉を食らえ』」(黙示録19:17~18)と書かれた。この天使の言葉は、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです」(ルカ23:34)という十字架上のイエスの証を、「預言の霊」の仕方で実現したものである(本ブログ№98参照)。 

イエスのこの祈りは、多くの人が、権力欲、権威欲、支配欲など、人の知識と体験が創り出すさまざまな欲に従って行動しているのに、それに気づかないでいることを示している。天使が「鳥」に「食らえ」と命じた「肉」は、これらの欲であり、これらが鳥に食われてしまえば、自分が何をしているかわかるようになる。そこで、この考察を先に続ける。 

この天使が「鳥」に「食らえ」と命じた言葉は、福音書に類似の表現を見つけることができる。それは、「種を蒔く人のたとえ」にある「鳥が来て食べてしまった」(マタイ13;4)という文である(マタイ13:3~23参照)。このたとえにはイエスご自身が解説を加えており、それを頼りに、また、上記のように、天使が「鳥」に命じた言葉が、イエスが十字架に付けられた時点で発せられたことを考慮して、その解釈を試みる。 

「王の肉、将校の肉、権力者たちの肉」は、大祭司、律法学者、長老など、十字架上のイエスをののしって侮辱した人たちのものである(マタイ27:39~44参照)。彼らは、御言葉を聞く機会があったとしても悟らない。自身の権威欲や支配欲が、記憶に入った御言葉を奪い取ってしまうからだ(マタイ13:19参照)。彼らにとって御言葉は、道端に落ち、鳥が来て食べてしまった種である(マタイ13:4参照)。 

「あらゆる自由人、奴隷の肉」は、死を前に「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と大声で叫んだイエスの言葉を聞いて興味を持った人たちのものである(マタイ27:46~49参照)。彼らにとって御言葉は、「石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐに芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった」(マタイ13:5~6)種である。彼らは、御言葉を聞いて、すぐに喜んで受け入れたとしても、「自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために苦難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である」(マタイ13:21)。

つづく

Maria K. M.


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