2025/07/07
203. 天にある神の神殿の中に契約の箱が見えた
「第七の天使がラッパを吹いた」(黙11:15)。黙示録の11章の終わりには、新約聖書のすべての書が出そろった。信者に対して具体的な指示を書いている使徒言行録とパウロの書簡に、四つの福音書と共に活躍の場が与えられる。黙示録の後半が来るのだ。「すると、天にさまざまな大声があって、こう言った。『この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される』」(同)とある。主が統治するということは、イエスが完全に神であっても、この世の人として生きたためにできなかったことをする時が来たということだ。それは、死者を裁くこと、神の僕、預言者、聖なる者、御名を畏れるすべての者に報いを与えること、地を滅ぼす者どもを滅ぼすことである(11:18参照)。それらはまず預言の書である黙示録の世界で起きる(1:3,22:19参照)。
「そして、天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え、稲妻、さまざまな音、雷、地震が起こり、大粒の雹が降った」(黙11:19)とある。「天にある神の神殿」は、ヨハネ福音書に「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」(ヨハ2:21)と書かれたように、キリストの体である。その中にある「契約の箱」とは、何だろうか。
イエスは、マタイ福音書に「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」(マタ1:1)とあるように、またご自身も、「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある。』」(ヨハ8:58)と言っているように、その出自は、アブラハムからつながるダビデの側、すなわちユダ族の側にある。
一方、マリアのもとを訪れた天使が語ったように(ルカ1:36参照)、マリアは祭司ザカリアとその妻でアロン家の娘エリザベトの親類であった(1:5参照)。イエスの母マリアはレビ族の血を引いていたのだ。実際に彼女は、身重のエリザベトを訪問し、3か月も滞在して手伝うような間柄であった。彼女の息子として生まれたイエスにも、その血が入っていたとみなされる。
まさに「契約の箱」は、イエスの体の内にあったレビ族の血、司祭職を示すのである。黙示録は、司祭職をイエスの母のイメージで、「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた」(黙12:1)と描写した。
ヘブライ人への手紙は、創世記14章を引用しながら、「あなたこそ永遠に、メルキゼデクと同じような祭司である」(ヘブ5:6他)という言葉をキーにして、イエスの祭司職が旧約の「レビの系統の祭司制度」(7:11)を超えていることを主張している。アブラハムがアブラムであったとき、彼は、甥のロトを連れ去った王たちを撃ち破って、ロトを救出して帰って来た。ソドムの王はアブラムを出迎えた。そのとき、いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来たと書いている(創14:1~18参照)。メルキゼデクはアブラムを祝福し、アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈った(14:19~20参照)。
このエピソードは、「パンとぶどう酒」のイメージから、イエスの最後の過ぎ越しの食事のときの出来事と対比できる。そのときイエスに命じられ、食事の準備をしたのはペトロとヨハネであった(ルカ22:7参照)。そこで「パンとぶどう酒」を持って来たのも彼らだったと考えるのが自然だ。創世記で「パンとぶどう酒」を持って来たのは、「いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデク」であり、福音書では、イエスが選んで使徒と名付けられた弟子たちであった(ルカ6:12~16参照)。イエスは、ご自身を「すべての物の十分の一を彼に贈った」アブラムの立場におき、「パンとぶどう酒」を準備した使徒たちに、御体と御血を与えた。イエスは、彼のすべてを使徒たちに贈ったのだ。
さらに、十字架上でイエスは、イエスの誕生と死を完全に共有する唯一の人である母と一人の使徒を、親子の絆で結ぶことによって、公に司祭職を使徒たちに授けた(ヨハ19:26~27参照)。イエスの母マリアは、聖霊と協働してご聖体を生み、その誕生と死を共有する司祭たちの体験の源である。イエスは使徒たちに、イエスの名によって御父に何でも願うことを求めた(16:23~24参照)。ゆえに司祭たちは、格別にパンとぶどう酒がキリストの御体と御血になることを願うのである。それは、イエスが水をぶどう酒に変えるしるしを行ったときの、イエスの母の姿勢が模範となる(2:1~12参照)。こうして使徒たちは、イエスの司祭職と解けない絆で結ばれた。
これらはすべて、黙示録の初めに次のように預言されている。「今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン」(黙1:4~6)。
Maria K. M.
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