2025/10/20
218. 和解の成立
キリスト者となった私たちは、今でも創世記に書かれたことから神の計画を読み取ることができる。新約聖書が成立しているからである。
同一種の生き物が複数になったとき、彼らの間に偶発的に情報が発生する。この偶発的情報が初めてその姿を見せたのは、神が創造した「女」を「男」のところへ連れて来た時だ。「男」は、「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉」(創2:23)と言った。しかし創世記は、神が「女」の創造に「人」の骨を使ったと記しているが、肉には言及していない。「男」は、神が、あばら骨の一部を抜き取った後、「その跡を肉でふさがれた」(2:21)ことから、偶発的に言葉を発したのだ。
アダムは「男」として特別に神から造られたのではない。あばら骨の一つが取られた後の「人」が「男」である。そこで「人」の体と記憶を受け継ぐ「男」は、3つの記憶を持っていた。神から与えられた「仕事」(創2:15参照)、「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(2:16~17)という「知識」、そして「人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった」(2:19~20)という「体験」である。しかしこの内の「知識」の記憶について、「男」は「女」と正確に共有できなかったことが後でわかる。二人の間に偶発的情報が絶えず発生し、記憶が新しく上書きされたからだ(3:1~5参照)。
「その日、風の吹くころ」(創3:8)、主なる神が園の中を歩いて来てアダムを呼んだ。神には計画があった。神は、ご自身が「祝福し、聖別された」(2:3)日を人々とともに祝うために、アダムを司祭職に向けて準備しようと考えていた。そのために、「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」(2:15)のであった。しかしアダムと「女」は、記憶が上書きされていたために、「園のすべての木から取って食べなさい」(2:16)という神の言葉を忘れ、「命の木」から取って食べなかった。代わりに、「決して食べてはならない」(2:17)と命じられた「善悪の知識の木」から取って食べたのである。
その後アダムは、自分が名を付けたものには、「自分に合う助ける者は見つけることができなかった」(創2:20)という「体験」の記憶を無視して、神が「人」から創造した「女」に、他の生き物に名を付けるように名を付けた。「彼女がすべて命あるものの母となったからである」(3:20)と誤った情報を持ったためだ。こうして、女性をすべての生き物と同等に認識したアダムの背きは決定的となって、彼は園を追い出された。しかし、「主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた」(3:23)とあるように、神は、アダムに司祭職を与える計画を変更しなかったのである。
やがて、洪水を通り抜けたノアが、主のために祭壇を築き(創8:20参照)、アブラハムが、いと高き神の祭司サレムの王メルキゼデクと出会い(14:18参照)、神は、アロンとその子らを祭司に任職した(出29:9参照)。こうして創世記から始まる旧約聖書の長い物語は、神が目指す司祭職を与えるにふさわしくアダムを、すなわち男性を養成し、成長させる歴史を形づくった。これらの旧約聖書の歴史と旧い祭司職は、洗礼者ヨハネの誕生とその生涯をもって終了する。イエスが、「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである」(マタ11:13)と言ったとおりである。そして、神の子イエス・キリストは、その宣教の初めに、遂に新しい契約の司祭職を与える新しいアダムを見つけた。後に使徒と呼ばれる彼らこそが、神との和解を成し遂げるまでに成長したアダムの子孫であった。
「イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた」(ルカ5:2~3)。
漁師たちも聞くとはなしに耳を傾けていたに違いない。「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。シモンは、『先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた」(ルカ5:4~5)。神は、アダムの子孫とこのようなやり取りをすることを、どれほど待っていただろう。
「そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。・・・これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と言った」(ルカ5:6~8)。ペトロのこの言葉によって、神は、創世記のあの日、「取って食べるなと命じた木から食べたのか」(創3:11)という問いに対する、「男」の真実な答えを受け取ったのである。
「シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。』そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った」(ルカ5:10~11)。御言葉を聞いてイエスに従った彼らは、「命の木」からその実を取って食べた“初めの人”になった。
Maria K. M.
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