イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2025/10/13


217. 和解

前回考察したように、司祭が祭壇上で御父に向かって、「主イエス・キリストの御体と御血になりますように」と願う言葉は、イエスの母マリアに起こったことと同じ現象を引き起こす。この時、聖霊が司祭に降り、いと高き方の力が司祭を包む。だから、生まれる子、すなわちご聖体は、「聖なる者、神の子と呼ばれる」(ルカ1:35)。マリアが天使から受けた言葉は、使徒ペトロがイエスを「メシア、生ける神の子」(マタ16:16)、「神の聖者」(ヨハ6:69)と呼んで証しした。これに倣って、現代も司祭と信者は、ご聖体に向かって、ペトロの言葉を証しし続けるはずである。 

しかし、なぜイエスは、ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と言った時、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(マタ16:17)と言って、御父の御心がその言葉にあったことを言ったのだろうか。それは創世記の「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた」(創3:8~9)というところまで引き戻す。神がアダムを呼んだのは、彼に使命を与えるためだったのではないか。しかし、その時すでに二人は神の御心に背いていた。神がそれを知らなかったのは、「ご自分にかたどって人を創造された」(1:27)主なる神は、「その鼻に命の息を吹き入れられ」(2:7)、ご自身の似姿となった人の意志がどう動くかを知ろうとなさらないからだ。 

だから神は、アダムが、「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」(創3:12)と答えた時は、ずいぶんがっかりしたにちがいない。彼は、神に背いたばかりか、その原因を神に帰したからである。そもそもアダムは「男」として特別に神から造られたのではない。神が創造したのは、初めの「人」と「女」であった。そして、人(男と女)を創造する神の御業を継ぐのは胎を持つ「女」である。「男」には、これからの計画があった。神は、「男」と和解することを望んでいたに違いない。 

神は、「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」(創3:19)と言ってアダムを励ました。今、私たちはこの言葉が、いつか彼が顔に汗を流して「命のパン」を得るために働き、死んで土に返り、「命の息」を吹き入れられた塵の体が復活する、ということを示唆していたことが分かる。神が園でアダムを呼んで、告げようと思っていた神の計画は、アダムに司祭職を授け、神が「祝福し、聖別された」(2:3)日を、人々とともに祝うことだったのである。この計画は、イエス・キリストが新約の司祭職において実現した。この司祭職の使命は、胎児を身ごもる女性と同じように、命に対する使命である。それは、ご聖体に対する使命である。 

妊娠した女性の子宮に起こる胎盤形成は、受精卵、すなわち胎児側が主導的に働き、母体は受動的に関わって起こる。したがって胎盤を作る主体は母体ではなく胎児なのだ。胎児と胎盤は父方の遺伝子を半分持つために、母体から見れば“異物”だ。それにもかかわらず、母体は胎児を拒絶しない。このことは、「命のパン」について語ったイエスの言葉を拒絶した弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった時も、使徒たちはイエスのもとに留まったことを想起させる(ヨハ6:66~69参照)。 

胎盤形成は、母体側と胎児側の密接な対話の上に成り立っているという。胎児は母体の免疫をいわば “再教育”し、母体は胎児の侵入を“許可しつつ制御”する。子宮が胎盤を受け入れる仕組みは非常に精密で、「母体と胎児の間の和解の奇跡」という、ヒト種特有の胎盤形成プロセスなのである。この微妙な交渉のバランスこそが、「妊娠」という現象の本質であり、ここで起こる和解とは、単なる静的平和ではなく、動的なバランスの維持だというのだ。それはイエスが、「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」(ヨハ14:27)と言ったとおりである。この和解は、祭壇の前で聖霊が降る司祭にも起こっているに違いない。 

子宮は単なる“器官”ではない。ヒトの生命の成立を支えている。ヒトという種の発生・免疫・脳・社会性にまで影響するきわめて深い意味をもっている。女性は、ヒト種特有の胎盤形成プロセスという、他の生き物に類を見ない高度な重荷を背負ったのである。それは、新しい契約の司祭職も同じである。聖霊に満たされてご聖体を生むという役割を背負って、イエスの母マリアのように生きる司祭は、神と人の歴史が強く求める「和解」を実現することになる。「あなたはメシア、生ける神の子です」(16:16)と言ったペトロの答えは、御父の御心に適っていたのである。続けてイエスは次のように言った。 

「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタ16:18~19)。 

Maria K. M.


0 件のコメント:

コメントを投稿

人気の投稿