2021/12/27
19. 神の権威
「天に大きなしるしが現れた。一人の女が太陽を身にまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた」(黙示録12:1)。前回、このしるしは、聖霊と司祭がミサの中でキリストの聖体が生まれるために協働する姿だと書いた。この姿は、次のようにマリアが天使ガブリエルから告げられた言葉とイメージが重なる。「その子は偉大な人になり(太陽を身にまとい)、いと高き方の子と呼ばれる(月を足の下にし)。神である主が、彼に父ダビデの王座をくださる(頭には十二の星の冠をかぶっていた)」(ルカ1:32)。一方、天使が夢でヨセフに告げた言葉は、マリアに告げられたことと異なり、イエスは自分の民を罪から救う方だと伝えた1。「罪から救う」神の仕方は、罪を赦し癒すことであった。十字架上でイエスのわき腹から流れ出た血と水は、罪を赦し癒す神の権威が全人類を覆ったことの確かな証しであった。「それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている」(ヨハネ19:35)と福音記者は記載した。イエスは、すべての罪を赦し癒す神の権威を御父から受けて世に来た。イエスが幼子である間、この権威は、地上の父であるヨセフに任され、彼は、天使の言葉に従いながら、イエスとその母マリアを守るためにこの権威を行使した2。イエスが昇天し聖霊が降臨した後、この権威は、聖霊を受けた使徒に任され、使徒は、聖霊と協働しながら、キリストの聖体と教会を守るために、この権威を行使するのである。そこで、復活したイエスは、聖霊が降臨したとき、イエスがこれについて語ったのだということを、使徒たちが思い出すように、前もって彼らに息を吹きかけ、次のように言った。「聖霊を受けなさい。誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(ヨハネ20:22~23)。このときトマスは不在であったが、他の使徒たちが「私たちは主を見た」と言って、この出来事を共有したにちがいない。しかし、トマスは信じることができなかった。8日目にイエスが再び現れた時、イエスを見てトマスは信じた。イエスはトマスに「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである」(ヨハネ20:29)と言った。イエスはこのとき、ご自分の昇天後に来られ、彼らを導くことになる、見えない聖霊を信じる者の幸いについて言ったのである。
【参考】1. マタイ1:21、2. マタイ1:24~25、2:13~23、ルカ2:1~7、2:41~50