イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2021/12/13

17. 二人の証人

著者ヨハネに語りかける声が、彼にもう一度預言をすることを命じると(黙示録10:11)、著者に杖のような物差しが与えられ、「立って神の神殿と祭壇とを測り、また礼拝している者たちを数えなさい。しかし、神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。測ってはならない。そこは異邦人に与えられたからである」(11:1~2)と告げられた。「杖」は、牧者の杖から使徒たちを連想させる。また、「神殿と祭壇」、「礼拝している者たち」という言葉は、これらが登場する使徒言行録の場面を想起させる。さらに、語りかける声が、神殿の外の庭について「そこは異邦人に与えられた」と言ったところから、異邦人の使徒となったパウロの14の書簡も暗示されているようだ。この章でこの2つの書が、預言と証しの力を与えられ、再び取り上げられたのは、第6のラッパの響きの後も、偶像を拝むことをやめず、自分たちの犯した殺人やまじない、淫行や盗みについても、悔い改めようとしなかった人々(9:20~21)がいたからである。「この二人の証人とは、大地の主の前に立っている二本のオリーブの木、また二つの燭台である」(11:4)とあるように、2つの書は「二人の証人」として擬人化され、灯を絶えずともすために、純粋な油を取るオリーブの木と燭台にたとえられている。これらの書に書かれた福音宣教に身を投ずる人々の体験と教えが、時代を超えて宣教する人々を照らすものだからである。2つの書物は燭台の上に置かれる灯のように天に上げられた。彼らの敵もそれを見た(11:12)。やがてこの黙示の訓練者は、ここで言われた「彼らの敵」が自分の敵でもあることを知る。ヨハネの黙示11~12章は、訓練者の記憶に新約聖書のイメージを注ぐ前半と、蛇、悪魔、サタンとも呼ばれる偶発的情報に決着をつける後半との懸け橋となっている。日々この黙示の訓練を続ける者は、幾度もこの橋を渡り、人生をかけてこれに決着をつけていく。

【参考】1. 本ブログ№4

Maria K. M.

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