イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2021/09/27

6 イエスの弟子たち

聖パウロの回心に関わったダマスコのアナニア1について、私は何度も考察してきた。アナニアが、幻の中で主と話した内容とその後の行動は、主イエスの弟子として訓練された者の姿を克明に物語っているからだ。アナニアは主の声に慣れ親しんでいて、神の言葉と向き合う自分の姿勢に信頼し、自分の考えていることを率直に主に話す。だからパウロを訪ねるように命じたイエスに「主よ、私は、その男がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて縛り上げる権限を、祭司長から受けています」(使徒言行録9:13)と答えた。主イエスと弟子のこの関係は、弟子が神の置いた敵意に常に目覚め2、偶発的情報をしっかりと区別するための基礎になる。アナニアは、自分の聞いた噂が信頼できる仲間からのものであり、パウロについての悪い情報が確かなものであっても、迷うことなくみ言葉の側に付いた。「弟子は師を超えるものではない。しかし、誰でも、十分に訓練を受ければ、その師のようになれる」(ルカ6:40)というイエスの言葉は、主イエスと共に歩んだ弟子たちの上に実現していた。彼らは、主の声に慣れ親しみ、イエス・キリストとその世界観を共有して、神の言葉と向き合う自分の姿勢に信頼した。この姿勢を身に着ける訓練は、後世に続く弟子たちのために、ヨハネの黙示に託された。

【参考】使徒言行録(9:1~20)本ブログ№5

Maria K. M.


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