イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2022/01/17


22. 地上戦

「竜は、自分が地上へ投げ落とされたと知ると、男の子を産んだ女の後を追った」(黙示録12:13)。前回の考察から続くこの描写は、竜が投げ落とされた「地上」が、未だ使徒たちの脳の領域であることを示している。それは、思考や、判断、決断といった、行為に結び付く事柄を司る意識の領域であり、他者と交わる接点として「地上」と言える。一方、使徒たちには、「大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである」(12:14)。これらの翼は「小羊の血」と「自分たちの証しの言葉」から成っている。それは、イエスの血によって結ばれた新しい契約と、これを証しするためにイエスの選びに応えた自分たちの言葉だ。「荒れ野にある自分の場所」とは、イエスの最後の夕食の席である。それは、使徒たちの無意識の領域の中にあって、そこには、使徒たちと共に生きたイエスの記憶、すなわち、イエス・キリストの世界観が生きている。黙示録の「蛇」は、使徒たちの意識の領域で、水を口から川のように吐き出して、彼らの記憶を押し流そうとする。この水は、フィクションやイリュージョンであり、これを取り込めば、無意識の領域と意識の領域の間に矛盾が生じ、使徒たちに迷いが起こる。そこで、「大地は口を開けて、竜が吐き出した川を飲み干した」(12:16)。黙示録がここで、「蛇」を「竜」に置き替えているのは、「蛇」の影響力が、他の人々と交わる中で巨大化したことを表している。使徒たちを助けた「大地」は、創世記で、「お前と女、お前の子孫と女の子孫との間に私は敵意を置く」(創世記3:15)と神が「蛇」に言った「敵意」である。意識の領域の内奥に備わっているこの「神が置いた敵意」は、人がイエス・キリストの世界観を持つことでその効力を十全に発揮する。使徒たちは迷いに勝ち、迫害の中、死に至るまで命を惜しまず、共同体のためにキリストの聖体を配る。地上戦は、いつも個々人の意識の領域から始まる。この流れが「人間の仕業」になることを食い止めるのは、人の意識の領域の内奥に備わっている「神の置いた敵意」が、その効力を十全に発揮するときだ。そのためには、イエス・キリストの世界観を無意識の領域に持っていることが必須である。神はこのためにも、ヨハネの黙示を新約聖書に加えた。人の無意識の領域を、イエス・キリストの世界観で満たすためである。

【参考】1. 黙示録12:112. マタイ26:353. 黙示録12:15 

Maria K. M.


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