2022/02/21
27.最初のイリュージョン
前回、「神が人にとって父と母である」と言う結論を得た。このときテーマにした、創世記2:24の文の「父母」を「神」に置き替えてみると、この文が、人の最初の生殖行動が、神と離れたところで始まるという予告になっていることに気付く。「こういうわけで、男は“神”を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる」。これについて以下で検証しながら、聖書にこのような予告が書かれた原因を探る。創世記には「神である主は、人から取ったあばら骨で女を造り上げ、人のところへ連れて来られた。人は言った。『これこそ、私の骨の骨、肉の肉。これを女と名付けよう。これは男から取られたからである』」(創世記2:22~23)と書かれている。ここで、解説と「人」の言葉が合致していないことから、この文は人が複数になり偶発的情報1が発生し、「人」にイリュージョンが発現していたことを示している。女は、「人」の「骨の骨」であっても「肉の肉」ではない。また、すでに「女を造り」とあるのに、「人」は自分が女と名付けることにした。そして、自分を男と名乗り、女が男から取られたと言った。人はイリュージョンを発生すると矛盾を持ち、矛盾は人の意識の領域で重荷となる。それをごまかすために、人はフィクションを作り、それを人々が共有するとき「人間の仕業」が起こる。この男も実際に女とやり取りする中で、自分の言った言葉に矛盾を持ったに違いない。彼は、「彼女がすべての生ける者の母となった」(創世記3:20)というフィクションを作り、女に再び名を付け自分の立場を正当化した。しかし、いわば人が神になったかのようなこの行為は、人がエデンの園から追放される直接の原因となった。創世記によると、人が妻と結ばれるのは、この後、2人が園を追放された後である。まさに、「こういうわけで、男は“神”を離れて」妻と結ばれたのだ。エデンの園を追放されたことと相まって、他の動物と同じ目的で与えられた人の生殖行動が神と離れたところで始まったことは、人に、本能からくるような深い孤独感をもたらす。男と女の関係は初めから困難を抱えていたのだ。
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