2022/09/05
55. 第六の天使と第3の幸い(黙示録15~16章)
ヨハネ10章の第6の節目は、「イエスは、再びヨルダンの向こう岸、ヨハネが初めに洗礼(バプテスマ)を授けていた所に行って、そこに滞在された」(ヨハネ10:40)という箇所だ。この個所は、洗礼者ヨハネが「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒れ野で叫ぶ者の声である」(ヨハネ1:23)と言って、自身の使命をはっきりさせたことを思い出させる。キリスト者の使命は、その名のごとく神の救いの業の継続のためにイエスの道を歩むことだ。この道は、ヨハネの黙示が示すようにミサに向かい(本ブログ№8参照)、派遣の祝福を受けた信者が再び次のミサを目指す道である。信者はミサにおいて真理であるみ言葉を聞き、命であるご聖体を拝領する。イエスが「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」(ヨハネ14:6)と言った道がそこにできる。信者はこの使命を生きるために、ミサに向かう具体的なイエスの道の上に、日常のルーティンを形づくるのだ。すると日常で出会うすべてがミサへの途上に起こる出来事として受け取れるようになる。それは、信徒の生涯の上に具現化した、イエスを通って父のもとに行くキリストの道である。ここに、「第六の天使が、その鉢の中身を大河ユーフラテスに注ぐと、水が涸れ、日の昇る方角からやって来る王たちの道ができた」(黙示録16:12)が符合する。イエスの誕生において、東方の博士たちが星を頼りにイエスにたどり着いたように、「日の昇る方角からやって来る王たちの道」とは、み言葉とご聖体にたどり着く信者たちが辿るキリストの道である。続けて、「また私は、竜の口から、獣の口から、そして偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである」(黙示録16:13~14)とあるように、「王たちの道」は、キリストがその死によって贖った後に、新たに地上に残った苛まれる意志(本ブログ№50参照)や悪霊たちにとっては、救いの道となる(本ブログ№49参照)。彼らはイエスを知っていたので(ルカ4:41参照)、この道が現れるとそれがイエスだと分かるからだ。そして、悪霊たちは全能者である神の大いなる日の戦いに向かって「王たちの道」を求めて全世界に出て行く。そこで信者が、悪霊たちに見破られたスケワの息子たちのような目にあってはならない(使徒言行録19:15~16参照)。そのために、信者たちがヨハネの黙示の訓練と聖霊の霊性に与かり、目を覚まして神の照らしの衣を身に着けて歩むように(本ブログ№54参照)、第3の幸いが彼らを鼓舞する。「見よ、私は盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである」(黙示録16:15)。
Maria K. M.
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