イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2023/05/01


89. 新約聖書の内にある新約聖書 その3

黙示録13章は、自分に有利な情報を取り込み、人々の性格や能力の違い、格別に性差に付け込んで、権威と権力、富を集める者が勝利する世界を描いている。彼らの錯覚とフィクションの世界から、社会的不平等、あらゆる差別、さらには人身売買へと果てしなく続く多くの苦しみが生み出されていく。こういった状況を創り出す、人々の関係から生じる情報とその知識が、竜と二匹の獣にたとえられている。洗礼者ヨハネは、まさにこれらの犠牲となって殺されたのだ(マルコ6:17~28参照)。 

このような社会環境の只中に創立された教会は、常に危険と隣り合わせにいた。「この人々は、血によらず、肉の欲によらず、人の欲にもよらず、神によって生まれたのである」(ヨハネ1:13)と書かれ、神を天の父と呼ぶ教会は、全く新しいアイデンティティを持っていたからである。それは、「天の国のために自ら進んで宦官となった者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい」(マタイ19:12)というイエスの勧めを受け取っていたことにある。今では「宦官」を、「結婚しない者」、「独身者となった者」等に置き換えることもあるが、そうではない。確かにイエスは「宦官」という絶対的な言葉を使ったのだ。それは、彼だけが天の国を知る唯一の人であり(ヨハネ3:13参照)、「天の国のために自ら進んで宦官となった者」が、イエスご自身を指していたからである。ゆえに、キリストの体となる教会は「これを受け入れることのできる人」として存在する。イエスの次の言葉は教会を示唆している。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活の子として神の子だからである」(ルカ20:34~36)。 

「その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた」(黙示録14:1)と書かれているように、黙示録14章は教会の描写から始まる。そして、「この者たちは、女によって汚されたことがない。彼らは純潔だからである」(黙示録14:4)とあるこの「女」は、これまで考察してきたように、婚姻神秘主義である。「大バビロン」と呼ばれ、都にたとえられた「女」は、「情欲を招く彼女の淫行のぶどう酒をあらゆる国々の民に飲ませた」(黙示録14:8)と書かれている。それができたのは、婚姻神秘主義が、それほどに普遍的で絶対的な社会の規範である婚姻制度のイメージから取られたからだ。天使が携えた「永遠の福音」(黙示録14:6)は、婚姻神秘主義から人々を守る新約聖書の預言であり、「神の怒りで満たされた七つの金の鉢」(黙示録15:7)の中身は、人の持つ情報とその知識に効力を及ぼし、彼らを悔い改めに導く言葉だ。 

啓示は神の現実であり、婚姻神秘主義は人の作り出すフィクションである。教会が未だそれを抱え込んでいるために(本ブログ№77, 85参照)、その歩みは、黙示録に照らせば、17~18章の只中にある。

Maria K. M.


0 件のコメント:

コメントを投稿

人気の投稿