イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2025/12/22

227. ヨハネ福音書と新約の司祭職 天から与えられなければ

本ブログ№224~226で考察したように、ヨハネ福音書1章は、初めに、神と御言葉と命=光というキーワードを使って、御父と御子と聖霊である三位一体の神を描写している。そして、洗礼者ヨハネの証しと預言を通して、「神の小羊」、「水の洗礼」、「霊が降る」、「聖霊によって洗礼を授ける人」といった表現に、メシア、洗礼、堅信、司祭職を授ける叙階の秘跡の姿が見えた。また、2章では、カナの婚礼で御血のイメージが、エルサレムの神殿のエピソードで御体のイメージが反映されており、ご聖体の秘跡が姿を見せた。ヨハネ福音書は、このように初めの章から、新約の司祭職を中心テーマとして描いていた。3章では、同じテーマをイエスご自身の言葉で語っている。 

イエスは、ニコデモとの対話の中で、洗礼と堅信と神の国について話され(ヨハ3:5参照)、「わたしたち」(3:11)という言葉によって御自分が三位一体の神であることを示した。また、モーセが荒れ野で上げた青銅の蛇を仰いだ人々が命を得たという故事を引いて、十字架に上げられるイエスご自身のイメージを示し、司祭の手によって上げられるキリストの体を示唆した(3:14~15参照)。続いて述べられた永遠の命と世の救いについてのメッセージも、イエスご自身とご聖体の両方に関わっている。その後再び洗礼者ヨハネが登場し、新約の司祭職について預言した(3:22~36/本ブログ№222参照)。 

このとき洗礼者ヨハネは、「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる」(ヨハ3:27~28)と言った。これによって読者は、イエスが洗礼者ヨハネから水で洗礼を受けるために来た時の場面を思い出す。読者も彼の弟子たちと共にそこに居合わせていたのだ。その時洗礼者ヨハネは、「わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた」(1:33)と言った。彼は天から言葉を与えられ、神の子を証しする機会を受けたのである(1:34参照)。 

このように、「天から与えられなければ、人は何も受けることができない」という洗礼者ヨハネの言葉は、彼自身の体験からのものである。「天」とは神のことである。新約聖書の中には、もう一人神から直に言葉を与えられた者がいる。使徒ペトロである。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(マタ16:15)と問うイエスに、ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」16:16)と答えた時、イエスが、「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(16:17)と証ししているからだ。 

使徒ペトロは、洗礼者ヨハネのように天から言葉を与えられた。そして、続くイエスの次の言葉を受けたのである。「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」(マタ16:18~19)。ヨハネ福音書によれば、イエスは初対面で、彼をペトロと呼ぶことを決めた(ヨハ1:42参照)。イエスは初めから彼をその時のために選んでいたのである。「わたしも言っておく。あなたはペトロ」と初めに言ったイエスの言葉には、その思いが込められている。 

イエスの選びが実現する時が来た。ペトロに天の父が現した言葉が与えられ、彼はそれを口にした。そして、イエスの言葉を受けた。イエスが、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言った「この岩」は、「あなたはメシア、生ける神の子です」という、天の父が使徒ペトロに現した言葉であった。イエス・キリストが誰であるかを宣言するこの言葉が、「陰府の力もこれに対抗できない」イエスの教会の隅の親石である。それは一方で、ペトロが手紙の中で書いているように、「つまずきの石、妨げの岩」(一ペト2:8)ともなる。イエスが昇天し、聖霊が降臨した後、この言葉を受けるイエス・キリストがご聖体だからである。 

私は、使徒ペトロが授かった「天の国の鍵」で、地上と天上のミサがつながっている間に、世界中の信者が、ご聖体がメシア、神の子であることを公言する日が来ることを強く願っている。 

Maria K. M.


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