イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2026/03/16


239. ヨハネ福音書と新約の司祭職 親和性

前回考察したように、パウロは、ローマのキリスト者共同体にペトロを迎え、その使命を果たした。こうしてローマに都を移した教会は、イエスから使徒として養成され、聖体制定から成る新約の司祭職を授かり、王権、すなわち「善き羊飼いの杖」を委ねられたペトロを頭とし、その職務を継承し続けることによって、「その支配は終わることがない」(ルカ1:33)という、天使がイエスの母マリアに告げた言葉を、実現するのである。 

ここに来るまで、聖霊降臨によって設立された教会は、様々な出来事に翻弄されながらも、前進してきた。その始まりは、マティアが加わって12人になった使徒たちが、「わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」(使6:4)と言って、現在の司教職に向かった時であった。発端は、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出たことにあった。そこには、「日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていた」(6:1)という問題があったので、教会は、まず「日々の分配のこと」を、7人の調停役を選ぶことで解決した。聖霊降臨後の教会は、ペトロとヨハネの宣教によって、「男の数が五千人ほどになった」(4:4)とあるように、急成長していた。信者たちの養成が急務であった。 

イエスが昇天された後、聖霊が降臨するのを待つ120人ほどの信者たちは(使1:14~15参照)、常に聖霊がとどまっておられたイエスを見て、直接御言葉を聞いた弟子たちである。イエスが、「あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである」(ヨハ14:17)と言われたように、イエスによってすでに聖霊を体験し、その記憶を持つ信者たちであった。ゆえに彼らは、イエスの名によって来られる聖霊と高い親和性を持っていた(14:26参照)。聖霊が降臨すると、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした」(使2:3~4)とある。ここに、使徒職と預言職が土台になって人間性が再構成された男女の信者たちがいた。 

イエスに養成されたこれらの信者たちは、聖霊降臨後に加わった三千人ほどの人々の中にいて、大きな求心力を発揮した。しかし、イエスの養成を体験として口頭で伝えることしかできないままに、信者が増加してくると、聖霊との高い親和性を持っていた共同体のクオリティを維持することは、難しいものになっていった。このような中で、「仲間のやもめたちが軽んじられていた」という問題は起こった。この出来事は、「日々の分配のこと」によって表出したとしても、原因は、そこに集っていたすべての信者個々人の抱える様々な問題、往々にして本人の自覚に至らない記憶の深奥に隠された願いや、自己実現や自己満足に関わる日常的な不満などが複雑に絡み合って作用するのである。それは、ヨハネ福音書4章のイエスとサマリアの女の対話によく現れている(ヨハ4:7~26参照)。 

イエスは、サマリアの女の記憶のすべてをつぶさに知る神だけができる仕方で、彼女の内奥に隠された願いと、日常的に抱える重荷について明らかにされた。しかし、彼女にとって初めての体験であったために、御言葉のすべてを受け取ることができなかった。その後、もし彼女が、機会を捉えてイエスに従って行ったとすれば、やがて降臨した聖霊と高い親和性を発揮して、聖霊に満たされる体験をしたに違いない。「あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである」とイエスが言われた神の現実は、意識的にだけでなく、イエスを見て、その声を聞くことによって、無意識の内にも受け取られ、その人に吸収され、信仰の記憶の土台を固めていくからである。 

聖霊が降臨すると、全く新しい現実が訪れた。聖霊との高い親和性を持っていた共同体の人々が、イエスについて語り始めれば、それが福音宣教となった。聖霊との親和性は、聖霊が授けるすべての賜物、格別に預言の賜物との親和性であり、信者が生きるすべての時間の中で、聖霊の声に気付くための重大な性質である。教会には、次第にイエスの教えの伝達や信者の養成のための書の形が作られていく。しかし、イエスを見て、その声を聞いてきた信者たちが持っていた、聖霊との高い親和性をもたらすような育成を発案するまでにはいかなかった。無意識や暗黙知といったアイディアの乏しい当時の感覚では、そこに重大な必要があることに気付き、どうすれば信者たちが、聖霊との高い親和性を実装できるのかを考えることは、不可能であった。しかし、誰の脳裏にも思い浮かばなかったわけではなかったのである。 

Maria K. M.


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