イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2024/03/11


134. その他の死者

前回の考察を続ける。「その他の死者は、千年が終わるまで生き返らなかった。これが第一の復活である」(黙示録20:5)。ここで、「その他の死者」には「魂」がないので、この死者は、死んだまま生き返らないでいる人々である。 

しかし、「千年が終わるまで」と書かれているので、「千年」、すなわちミサ典礼が終われば、生き返る可能性が示唆されている。このことから、「これが第一の復活である」とは、ミサ典礼に関わるすべての人がいずれ生き返る状態を言い表していることがわかる。それは、聖霊とキリスト者の働きに託された宣教が成し遂げられる日が意識されているからだ。 

この意識を共有するために、信者は、この後に続く、「第一の復活にあずかる者は、幸いな者であり、聖なる者である。この人たちには、第二の死は無力である。彼らは神とキリストの祭司となって、キリストと共に千年の間支配する」(20:6)と書かれた第5の「幸い」に同伴されねばならない。 

ヨハネの黙示の訓練を行う者には、黙示録の要所に置かれた7つの「幸い」が同伴する。ここに登場する第5の「幸い」は、ヨハネの黙示の訓練者に同伴して、聖霊の霊性の神髄にまで入っていく(20:6~22:6参照)。イエスの名によって遣わされた聖霊の霊性を受けるためには、イエス・キリストの世界観を持つことが必須である。 

教会は、信者たちを、ヨハネの黙示の訓練に導くことによって、彼らの記憶に、イエスの初めの弟子たちが無意識の内に持っていたイエス・キリストの世界観を植え付けることができる。ここには、イエスがイメージした聖霊の霊性にまで高められたミサ典礼の記憶が入っている。それは、聖霊がまだ降臨していなかったために、イエスが最後の晩餐で弟子たちにその全貌を伝えなかったものである。「言っておきたいことはまだたくさんあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。しかし、その方、すなわち真理の霊が来ると、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれる」(ヨハネ16:12~13)とイエスが言ったとおりである。 

そして、すべての信者が、「神とキリストの祭司となって、キリストと共に千年の間支配する」と書かれたようになるためには、教会はミサ典礼を完成しなければならない。そこには、「神の国で過越が成し遂げられるまでは、私はもはや二度と過越の食事をすることはない」(ルカ22:16)と言ったイエスの御言葉の実現がかかっているのである。ミサ典礼の完成にはこれほどの完全性が期待されている。イエスがそのためにすべてを準備していったからである。 

ゆえに、完全なミサ典礼が挙行されれば、それが終わるまで生き返らない「その他の死者」とは悪霊のみとなる。

Maria K. M.


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