2022/05/02
37. 聖霊の養成
Maria K. M.
2022/05/02
Maria K. M.
2022/04/25
Maria K. M.
2022/04/18
神が初めから人を男と女に造ったのは、人が父母となって、神と人の関係を共有するためだった1。神と人の関係は、初めから親子であり、神とイエスの「私の教会」の関係も親子である2。イエスが、「天の国のために自ら進んで宦官となった者」の存在を伝えたのは、このときすでに、創世記で神が人に命じたとおり人が地に満ちていたからだ。イエスと同じく初めから子を持たない若者であった使徒ヨハネは、特別にイエスの愛する弟子と呼ばれた。ヨハネとヤコブが、イエスの国でイエスの右と左に就くことを願ったのは、イエスが3回目の受難の予告をした直後だった3。他の弟子たちはこのことで腹を立てたが、イエスは二人の気持ちを正面から受け止めた。イエスが若い彼らに注目したのは、イエスに向いた彼らの自発性を見たからであった。人の意志は自発的に神に向くとき初めて真の自由を得る。聖霊が降臨し、ヨハネは、自分がイエスの母の名を受け取ったことを悟った。イエスに似るためには、男性である彼がイエスの名を受け取ることはないのだ4。彼は、イエスの十字架のそばにともに呼ばれたマグダラのマリアが、復活したイエスと出会った話を聞いたとき、彼女に注目した。自身の経験から、イエスに向いた彼女の自発性に気づいたからであった。ヨハネはイエスが彼女にイエスの名を与えていたことを理解し、その出来事を福音書に記載した。復活したイエスは、墓の前でマグダラのマリアに言われた。「女よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか」(ヨハネ20:15)。マリアは、園の番人だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか、どうぞ、おっしゃってください。私が、あの方を引き取ります」。「私が、あの方を引き取ります」と言った彼女の自発性を見て、イエスは「マリア」と呼んで言われた。「私に触れてはいけない。まだ父のもとへ上っていないのだから」(ヨハネ20 :17)。ヨハネは、このイエスの言葉から、イエスが父のもとへ上ったら、彼女はその名に触れることが許されると察したのだ。マグダラのマリアは、マグダラという地名で呼ばれていたことから、イエスのように独り身の女性であったに違いない。自分の持ち物を出し合って、イエスの一行に仕えていた女性たちの一人であった彼女は5、いつも近くからイエスを見て、その教えを自分のものにしていたのだ。マグダラのマリアは、「私の名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」(マタイ19:29)というイエスの言葉を、自発的に生きる新しい女性たちに、イエスの名を受け取る道を切り開いた。
【参考】1. 創世記2:24、2. 本ブログ№31、3. マタイ20:20~23、4. 本ブログ№34、5. ルカ8:3
Maria K. M.
2022/04/11
【参考】1. 本ブログ№25、2. 本ブログ№29,33、3. 本ブログ№29、4. 本ブログ№30,31
Maria K. M.
2022/04/04
イエスは、「天の国のために自ら進んで宦官となった者」になることを、主に男性の弟子に勧めた1。それは、男性の体が性衝動を制御できるように造られているからだ。男性の体は、新しい精子を補充するとき、古い精子は体内に吸収されるよう機能する。外性器を尿道と兼用しているため、精子も尿のように溜まれば排出しなければならないと捉えている人がいるかもしれないが、それは錯覚だ。一方で卵子は、女性がその母の胎内で胎児であったときにその数が確定し、女性が誕生後新たにつくられることはない。成長した女性の体内で卵子は成熟し、卵管に出てくる。精子と出会わず受精卵にならなかった卵子は、出血を伴ってはがれる子宮の一部とともに、体外に排出される。成熟した卵子が出てくる排卵は、女性の意志とは無関係に起こり、このとき女性は数日間の発情期に入る。そこで神は、マリアを神の独り子を身ごもるために特別に準備した。マリアには聖霊が降り、いと高き方の力に覆われた2。それは、その体が「天使に等しい者」になったという事を意味していた。イエスは、サドカイ派の人々に次のように答えたとき、自分の母をイメージしたに違いない。「この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活の子として神の子だからである」(ルカ20:36)。福音書に書かれた記事を読むと、死者の中から初めに復活したイエスは、見た目には普通の人と変わることがなかった。マリアも同じようであったので、彼女自身はもちろんのこと、誰一人彼女の身に何が起こっていたか気付かなかっただろう。イエスは、「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」(ルカ11:27)と声を張り上げて言った女に、「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」(ルカ11:28)と応じ、また、母に向かって「女よ」と呼びかけていたのはこのためだった3。これらの事から推測すると、天使の言葉に従って、マリアと胎内の子イエスを家に迎え入れ、イエスの地上の父となったヨセフは、ベトレヘムで非常に稀有なお産に立ち会った。それは、まるでイエスが空の墓を残して復活したような光景だったに違いない。ヨセフは、これを見てすべてを悟り、神を畏れ、知らずとも「天の国のために自ら進んで宦官となった者」として生涯を生きた。マリアとヨセフの人生の選択は、キリスト者に、新しい男と新しい女の人生を受け取る可能性を切り開いた。
【参考】1. マタイ19:12、2. ルカ1:35、3. ヨハネ2:4,19:26
Maria K. M.
2022/03/28
【参考】1. 黙示録 ①1:3、②14:13、③16:15、④19:9、⑤20:6、⑥22:7、⑦22:14、2. 黙示録3:20
Maria K. M.
2022/03/21