イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてを証しした。この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて中に記されたことを守る者たちは、幸いだ。時が迫っているからである。(ヨハネの黙示1,1~3)

 2024/04/01


137. 天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした

「彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都を囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした」(黙示録20:9)。

神が悪霊の救いに熱情を傾けるのは、それがご自身の「命の息」を分け与えた「人」だったからだ。私たちも、その神の熱情を乞い求めねばならない。私たちは、自分が死んでどうなるかを知らないからである。

黙示録では、第5の「幸い」が登場した後、悪霊がどのように救われるかが描写される(黙示録20:7~15参照)。この描写は、黙示録16章の描写と深く関わっている。そこで、「ヨハネの黙示の預言的構成」の図を見ると(下記参照)、第4の預言「司祭職とご聖体の秘儀が荒れ野と天に隠された教会がたどる運命の預言(12~16章)」から出た矢印は、第5の預言「教会の堕落の預言(17~18章)」をくぐって第6の預言「ミサ典礼の完成の預言(19~20)章」へ到達している。未だ第5の預言の只中で生きている私たちには、この状況は見えにくい。

しかし、第1の預言「教会とともにいるイエス・キリストの預言(1章)」から出た矢印が、第2の預言「教会共同体が抱えた問題と解決の預言(2~3章)」をくぐって、第3の預言「新約聖書成立の預言(4~11章)」へ到達したところをみると、新約聖書が成立したことによって第2の預言が実証されていることが実感できるはずだ。21世紀もほぼ四半世紀を過ぎた現在、教会が催している世界的な集い(シノドス)は、これら初めの3つの預言が現実化されたことの証しになっている。

ゆえに、振り返って、第4の預言から悟りを得て、第6の預言「ミサ典礼の完成の預言」に向かう必要がある。図を見ると分かるが、第5の預言の中にいる私たちには「幸い」が同伴しない。ここに留まる教会は「幸い」とは無縁である。まさに21世紀の今も、教会は、キリスト者同士が殺しあう戦争の歴史の只中にいるのである。

しかし、「幸い」に代わって「小羊」が同伴する。私たち信者が、なんとかしてキリストの名を背負って進むようになるためである(本ブログ№136参照)。次のミサ典礼へと向かう日常のルーティンに入り、「私たちの日ごとの糧を今日もお与えください」と祈る自身の声を実現するのだ。イエスの名によって来た聖霊と協働することによって実現するこの祈りを、イエス・キリストの世界観を身に着けるヨハネの黙示の預言の言葉は、根底から支える。

ゆえに、次のように天使は命じた。「この書の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。時が迫っているからである」(黙示録22:10)。

Maria K. M.

ヨハネの黙示の預言的構成



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